Home 食・旅・カルチャー 地球からの贈りもの~宝石物語~ パールの輝き

パールの輝き

おめでとう、大阪なおみ選手!!

何だかあれよあれよという間に決勝でセリーナ・ウィリアムズと対戦して、気づいたら日本人として初のグランドスラムを制していたという感じだった。

本当に嬉しい。全米オープンの決勝戦で起こった、グランドスラムの決勝戦史上最も衝撃的な出来事に関してはここではあえて触れずにおこう。それよりも、大阪選手の技術的にも精神的にも20歳とは思えない成熟ぶり。激高するセリーナに心を乱されないように必死で背を向けていた大阪選手。トークショーやインタビューをいくつも見たが、彼女自身何が起こっていたのか正確に把握しておらず、ブーイングが自分に向けられているのかもと思っていたようだ。表彰式での姿も立派だった。プレー以外ではとてもシャイで言葉少なめ。ブーイングのまだ鳴りやまない会場のあの表彰式において、必死で言葉を選んでいる様子に、見ているこちらが苦しくなるほどだった。その奥ゆかしさに古き良き時代の日本の美しさを見た。

その日本的な美しさは、彼女の真珠のピアスとペンダントにも見られた。多くの人が感じたであろう「なぜ汗だくになるスポーツに?」という疑問。

直前に着け、帰宅した直後に外すべきものと言われるぐらい、繊細で色んなものに対して弱いパール。いくら試合直後に外したところで、間違いなくダメージは受けている。でも、そんな事を気にするつもりだったら身に着けていないだろう。母方の祖父からのプレゼントだというピアスとペンダント。日本では真珠のように清らかで純粋な女性になって欲しいとの願いも込め、成人式の時などに真珠のネックレスが贈られたりする。大阪選手に贈られたのは20歳の記念ではなかったようだが、控えめなサイズと光沢が褐色の肌にとてもよく映えていた。

大阪選手の真珠はまさに王道タイプ。しかし、実は近年、真珠の概念が変わるぐらい斬新なパールジュエリーが増えている。珠は完ぺきにスムーズな球体が良いとされていたものから、バロックパールなど自然が作り出した芸術の如く様々な形が市民権を得つつあった頃。真珠の粒に小さなダイヤモンドやゴールドの粒を埋め込んだパールジュエリーが登場。

それは、田崎真珠からTASAKIに改名した日本のジュエラーが生み出した。ユニークなデザインとして話題になった初期のものが、「リファインドリベリオン」。パールがダイヤモンドの尖った(キューレット)を上に帽子を被るように埋め込まれ、尖った部分が触れそうにお互いを向いているリングだ。ダイヤモンドは正面から見た時に光を反射し輝くように計算されてカット、研磨されている。それを全く無視するデザインだが、パールジュエリーの概念を覆すような斬新さが話題となり評価された。同シリーズのピアスは片方が新円のパールで、通常ポストと呼ばれる留め具側が、尖った方が外を向くように配されたダイヤモンド。何度も言うが、ダイヤモンドはテーブルと呼ばれる正面が光を最大限に反射するように計算され研磨されるので、尖った方からの輝きは遠く及ばない。それでもヒットとなった。更には、パールが人差し指から薬指に届くぐらい横に並べられたり、その間にダイヤモンドを配したりと斬新なデザインで話題を呼んだ「バランス」シリーズ。そして、アイコニック的な「デイジャー」シリーズは、新円のパールに牙をはやしたようなデザインで、猛獣の牙の如くゴールドが噛み合うように埋め込まれた真珠が上下に配されたもの。この頃は、斬新とはいえ、まだパールが新円だった。それより進化した今は、真珠を真っ二つに割って中身を見せる「スライストゥ」シリーズや、ドリルでいくつも穴をあけてスカスカになってしまったパールが連なったネックレスなどもある。まあ、よくもそんなにパールをいじめて、というデザインである。パールの新しい可能性という意味では、間違いない。しかし、古い人間と言われても構わないので言わせて欲しい。パールはデザインで主張するのではなく、シンプルにそのままの姿で優しく見守ってほしいのだ。遠くに居ても優しく見守ってくれる大阪選手の祖父のように。

(金子 倫子)

80年代のアメリカに憧れを抱き、18歳で渡米。読んだエッセイに感銘を受け、宝石鑑定士の資格を取得。訳あって帰国し、現在は宝石(鉱物)の知識を生かし半導体や燃料電池などの翻訳・通訳を生業としている。