Home 日系移民の歴史 北米時事から見るシアトル日系移民の歴史 二世が政治的活躍した日系市...

二世が政治的活躍した日系市民協会〜『北米時事』から見る シアトル日系移民の歴史 第12回

北米報知財団とワシントン大学による共同プロジェクトで行われた『北米時事』オンライン・アーカイブ(https://hokubeihochi.org/nikkei-newspaper-digital-archive/)から古記事を調査し、戦前のシアトル日系移民コミュニティーの歴史を辿ります。毎月第4金曜発行号で連載。

筆者: 新舛 育雄

第12回 二世が政治的活躍した日系市民協会

前回は二世の入学した大学についてお伝えしたが、今回は二世が政治的活躍した日系市民協会についてお伝えしたい

二世の成長と共に一世達は米国国籍を持つ二世達に政治的活躍を期待した。1921年9月に北米日本人会は日系市民協会設立総会を開き、日系市民の選挙権行使のできる男子17歳以上、女子25歳以上の13名が出席し、シアトル革新連盟を創立した。このシアトル革新連盟がアメリカ全土の二世達にシアトルで会合を持つことを呼びかけ、1929年に全米組織として日系市民協会JACL(Japanese American Citizens League)が結成された。1930年にアメリカ各地の二世達がシアトルに集まり、第1回全米日系市民協会大会の開催に至った。

全米日系市民協会大会 

1934年の第3回大会、1938年の第5回大会の様子を掲載した記事を見ることができた。

第3回大会「全米市民協会第三回目の大会」1934年7月12日号

『北米時事』1934-7-12
全米日系市民協会第3回大会

「8月31日から9月3日までサンフランシスコで第3回全米日系市民協会の連合大会が開催される。此経費1000ドル、協議事項としては二世を中心とした幾多の重要問題が挙げられて居り、各委員が夫々研究してゐる。有望化して来てゐる日本人在郷軍人市民権獲得運動に対しては尚一層全力を注ぐべく職業問題を始めとして市民権等に対して研究討議をなす筈」

「市民協会大会出席者を送る会」1934年8月23日号

「日系市協大会への出発の先発として、既に当地方から4代表(氏名掲載)は出発して居るが、最近日系の社会的進出は政治方面にも著しく、例えばその一例としては東洋人帰国軍人の市民権問題に関する活動、排日問題に関する運動、当地荒井君の政界への進出等手近い例も少なくない。そこで彼等の大会へのかどでも相当意義があるものであるから、茲に大北、北米両新聞社はそれ等を送る会を玉壺軒で開くことゝなった。会費は50仙。後発の代表は野垣健雄、坂本好徳他7名(氏名掲載)」

上記の荒井成彌氏は同年8月25日号にシアトル市議の37区から立候補し、選挙戦に善戦している事を伝えている。又坂本好徳氏は文献によると、シアトル生まれの二世でJACL創立を全米各地に訴え、創立の立役者だった。1936年には第5代会長となった。

「市民協会大会出席者を送る」1934年8月25日号 

「昨夕送別会が催され代表、有志多数の出席あり、先ず本社の有馬氏が開会の挨拶を述べ、食後高畠氏が代表一同を紹介し、次いで大北の川尻社長が送別の挨拶を述べた。代表者側から野垣健雄、坂本好徳両氏が第二世の使命を論じ、奥田平次氏の激励の辞あり歓を尽して散会したが、近年稀なる有意義の送別会であった」

第5回大会「米国の社会に伸びゆく第二世」1938年9月3日号 

「第5回日系市民協会全米大会は昨2日ロサンゼルス・タイムス・オーデドリアムで開催され菅原君の司会でロサンゼルス市長、カリフォルニア州知事代理、ロサンゼルス支部長松本君等の歓迎の辞、全米協会長坂本君の謝辞があり、最後もユニオン・ターミナル会社のワルター・ノーグ氏が『二世の将来』として演説した。『二世諸君は米国の社会生活に於て、正しき立場をとらねばならぬ。ロータリー・クラブなどの午餐会又は晩餐会に出席して米国人と交際し、婦人はブリッジ・パーティーや社交的集会に出席すべきである。必ず米国人は諸君を歓迎するであらう。私は出来るなら、諸君を連れて、全米を歴訪し日本人の子弟が如何に立派な市民として生成しつゝあるかを、知らせてやり度いと思ふ』と述べ二世を激励する處があった」

二世の投票権の権利行使問題

市民権を持った二世の多くが投票権の権利を行使しないという問題が起り、市民協会が先頭にたち、その解決を図った記事が見られた。

「兎角(とにかく)冷淡な日系市民の登録」1934年8月22日号 

「選挙人名簿登録締切も来る土曜日正午に迫ってゐるに同胞二世は頗る冷淡で当局の係も日本人は何故登録しないだろうとつぶやいてゐる。日系市民は日本に帰る時と、土地をリース時だけ市民権を行使するのが由で肝腎の選挙権を行使しない傾向がある。選挙人名簿にない市民は裁判所陪審官その他市民の権限は非常に狭めらるゝのである」

「二世有権者へ呼びかける立候補の人々」1938年2月17日号

「日系市民の有権者が毎年増加するので、政治的に彼等の立場を重要視され、立候補者が彼等日系市民に呼びかけて投票を獲得せんと奔走して居るが、市民協会ではこれを機会に日系市民の存在を明確ならしむるため明夕8時日商ホールに、市長候補ドーア氏、市議候補ボウエル夫人ら4、5名の候補者を招き、政見を聴く事になったが、彼等日系市民の政治的勢力を力強く印象せしめるため多数第一世の出席を切望して居る」

二世の投票権について北米時事社社長の有馬純義は「北米春秋」で次のように述べた。

「北米春秋、第二世投票権の行使」1938年3月4日号  

「過般の市選挙に第二世日系市民はどの程度投票権を行使したか。その数は勿論判明せぬが余り多くないやうに思ふ。これでは困る。も少し考へて貰はねばならぬ。第二世の多くはまだ漸く丁年に達したものが多く従って政治に興味を持つことの薄いであらうことは察せられるが、も少し自分達の特殊な立場を理解せねばならぬ。自分達の特殊な立場を理解する時にその投票権の行使は重大な意義を持つのである。その貴重な投票権を捨てるとは即ち自分達の立場と任務を理解せぬと云ふことになる。(中略)

第一世が今日まで苦闘しつゝ唯一の慰めと希望としてきたものは第二世の市民権と云ふものであった。第二世がこれを行使し得るやうになったら自分等に対する帰化不能と云ふ烙印もやがて自然に消滅することになり、そこに日本人の米国に於ける正当な権利も認められるに至るであらうと期待し願ふところであった。(中略)

その投票権の行使如何によっては第二世の地位その米人社会との関係はもっと密接に面してもっと向上されるに違ひないのである。(中略)

第二世がこの貴重なる権利の行使に冷淡でありながらダンスとかスケーティングとかその他の娯楽には常に熱心であると云ふ事実は我等の甚だ遺憾とするところだ。市民協会をはじめ第二世先輩諸君がこの方面の覚醒に努力されんことを希望せざるを得ない」

このような環境下で日系市民協会が早速、二世の投票権の行使推進活動に邁進していった。

「二世は登録して権利を行使せよ」1940年2月5日号

「市民協会では以前から第二世に登録を促して来たが、日米通商条約も失効となり、在米日本人の既得権を擁護するのは、第二世の投票権であるからこの際21歳から25歳は登録され度いと希望し野垣会長は左の如く語った。

『21歳以上の第二世はシアトル市内に1200人以上、キング郡内2000人以上居る見込みだが、投票権を持つ者が割合に少ない。(中略)

今度は第二世有権者名簿を作って問題が起ったら、それを持ち込んで政治家と交渉したい。』」

第10回でお伝えしたシアトル生まれの二世の1940年における21歳以上の人口予想は約1500人程度となる。(第10回表2参照)

「第二世の有権者登録一千を突破」1940年2月13日号

『北米時事』1940-2-13
二世有権者登録

「有権者の登録は去る土曜日で締切となったが今年の1月から2月5日頃までは第二世の登録は僅か150名に過ぎず、日系市民協会で第二世の登録を促した処、最後の3日間に200名以上の登録者があり今年度の登録者は350人以上となった。以前に登録して居る者を加えると僅かに1000人以上となる。第二世の投票権は相当力あるものとなった」

「市選挙候補者を市民協会で招く」1940年2月15日号

「日系市民協会では明晩メーン街517番の新設ホールに市長、市議其他の立候補者を招き懇談会を催す事になったので第二世は会員か否かを問はず挙って出席され度いが父兄も第二世に出席を勧説され度いと希望して居る」

母の会の創立

「市協の母の会、第一会合」 1939年3月16日号

「市民協会では母親と娘の理解促進、協力達成の見地から今回、母の会を組織する事となり、来る20日に第一次会合を催す事になった。行く行くは家庭問題、二世女子指導問題等に就き具体的意見の交換会なども開く筈で各婦人団体を超越して多数母親の参加を希望してゐる。右に就き坂本君は語る。『婦人会に加入して居らぬ主婦も多数居られる様だし、市協が発起人となって統一的母の会を組織し母子協力の実を挙げたいと思って居る』」

この「母の会」に対して有馬純義は次のように語っていた。

北米春秋 花園一郎「市民協会と母の会」1939年5月9日号

「市民協会が発起となって母の会が組織されたと云うふことだ。その目的は母親と娘の理解促進、協力達成と云ふことにあり軈(やが)ては家庭問題、二世女子指導問題に就ても具体的意見の交換、研究もしやうと云ふことである。この全ては市民協会の発案として最近の傑作たるを失わぬ。(中略)在米同胞社会は人種的には日本人、社会的には米国の思想、習慣、風潮に影響を多分に受ける特殊な社会である。特に第二世の出生と成長が益々この社会の生活と思想を複雑にするのである。彼等は日本人にして米国人、英語を話し日本語を学ぶ。家庭に於ては日本の古い習慣を自然に受け継ぎやがて長ずれば米国の風習、思想の影響から免れることが出来ない。(中略)

同胞婦人は米国市民の母と云う事実だけで実に稀有な責任と使命を従って困難を負はされて居るのである。その母と子供の理解と協力の為めに母の会の生まれたことを僕は心から喜ぶものゝ一人である」

演芸会の開催

市民協会はシアトル在留日本人社会との融和を計ると同時に、活動資金確保のために演芸会を開催し多くの人に参加を募った。

「市民協会演芸会」1935年10月19日号

「市民協会の演芸会は日本館で上映される。(中略)

入場料は35仙、子供20仙で此の収入で、来年当地で開かれる大会の経費を搾り出そうと云ふ計画」

「市民協会主催楽しき一夜」1939年4月27日号

「日系市民協会主催のコミュニティ・ナイトは明日開催。プログラムは左の如し。来賓挨拶、佐藤領事、三原源治、野垣健雄、ダンス、ピアノ、バイオリン、チェロ等演奏、独唱等(以上すべての出演者氏名掲載)」

「市民協会演芸会」1939年11月1日号

「日系市民協会の基金募集演芸会は来る4、5日夜7時より日本館にて華々しく開幕される。プログラム:英語喜劇、踊り『草津節』、独唱、バイオリン、タップダンス、第3世踊り、独唱、リーディング、筑前琵琶、アコーディオン、尺八三味線合奏、踊り『安来節』、菊池寛『父帰へる』、スパニッシュダンス、バイオリン、喜劇(以上すべての出演者氏名掲載)」

「二世歌姫松田嬢」1939年12月5日号

『北米時事』1939-12-5「 二世歌姫松田嬢」

「カリフォルニア州で生まれベルリンで勉強し、更にシカゴで磨きをかけたコロラチュラ・ソプラノ歌手松田千代子嬢は至る処の独唱会で好評を博し英字紙も同嬢の美声に賛美を呈して居るが当地市協主催の独唱会は明晩、ワシントン・ホールで開催されるので多数同胞の来場を希望してゐる」

大戦下の日系市民協会

日米大戦までに日系市民協会は政治的活動が定着し、数々の日系市民の権利拡大の実績を残した。そして大戦に突入後は、シアトル日系人社会の擁護の為に懸命に活動する様子を掲載した記事が多く見られた。

「盛大だった日系市民愛国大会」1942年1月9日号

「スポ—ケン市日系市民倶楽部主催による愛国大会が催され、出席者一世及び二世200余名に達す近来にない盛大な会合であった。来賓として市長サデリン氏、合衆国検事補エリソン氏、スポ—ケン市両英字新聞記者二名であった」

「米国への忠誠表明に鄭重なる返書」1942年1月13日号

「昨年12月22日市協非常時防衛委員会主催の下に開催されたアメリカニズム強調大会は出席者実に2000、同胞社会初まって以来の盛大なものであったが、其の際約1300名の署名した米国への忠誠を表明する決議文を採択、直ちにローズベルト大統領に宛て送付したのに対し昨1月12日国務省行政官補ハロルド・ホスキンス氏署名入りの感謝状が市協防衛委員会坂本委員長宛に到着した」

「ポートランド市民協会主催で米国主義強調大会」1942年1月21日、24日号  

「ポートランド市民協会では現下の非常時下に於て、第二世は勿論、第一世も米国へ忠誠を誓ひ得る機会を作る為、来る23日シャッツク公立学校講堂に於て米国主義強調大会を開催する。特に此の大会にはリレイ市長を初め、ナイルス警察署長、赤十字社秘書ドイル嬢、オレゴン・ジャーナル紙編集人ダーナ氏等白人知名の士が出席して演説を行ふ。(中略)このアメリカニズム強調大会は出席者600名に達し近来にない大成功理に終はったが、特に来賓の白人緒名士は皆第二世及び其の両親である第一世に同情に溢れた演説を行ひ、挙国一致の為に万難を排して共に進まん事を強調した。尚今大会に於て全出席者は米国への忠誠を誓ふ決議案を大統領へ打電する件を全員一致で採択した」

「全米の正岡書記長近くシアトル市へ来る」1942年1月28日号

 「全米日系市民協会書記長として非常時下に東奔西走、日本人社会の為に尽力して居る正岡氏はサンフランシスコを去る26日出発、北上を開始したが、先ずサクラメントに於て官辺(かんぺん)と懇談会、ポートランドに至り、更に当地方に来て西北部市協議長井芹タム氏及び坂本好徳氏等と各種の問題に就て懇談する事になって居る」

「タイムズ紙の市協写真」1942年1月31日号

「太平洋開戦と共に複雑化せる日本人社会の緒問題解決及び之が対策に昼夜献身的奮闘を続けてゐる市協の涙ぐましい活躍ぶり及び第二世の戦時体制下の生活様式が本日シアトル市タイム紙に全頁写真版で紹介されてゐる」

「市協評議会役員選挙」1942年2月2日号

「昨朝市民協会西北部評議会の役員選挙が行われたが、其の結果井芹タム君が満場一致議長に再選、書記長に荒井成彌弁護士、会計には安村ジョージ君が夫々選ばれた。尚全米市民協会書記長正岡氏は過般来沙当地に滞在中であるが、今夜玉壺軒に於て歓迎晩餐会が催されると」

1942年2月19日にルーズベルト大統領行政命令第9066号、「陸軍長官へ軍事地域指定権の付与」が出された直後の坂本氏による発言の記事があった。

「集団的の移動を寧ろ我々は希望—坂本防衛委員長語る」1942年2月25日号

「坂本市民協会防衛委員長は24日次の如く語った旨英字紙は報じて居る。『我々は此所に留まり、他の米国人と共に国の為戦ひたいと思ふが、若し立退かねばならぬ事になれば、命令に従ふだけの覚悟は出来て居る。併し若し立退かせられるなら日常生活に困難を生ぜぬ為寧ろ”コミュニテー”として移動するのが最善方法である。そうすれば何処へ行っても我々は農園を作るとか工場を建築するとか、其の他何でも団体として仕事が出来る。立退く事になれば日本人は後に残す財産に適当なる保護を加へる為充分な管理人を要請するだろう』」

「明日立退き問題で聴聞会開催—坂本防衛委員長出席—」1942年2月27日号

坂本好徳氏は大戦中、市協防衛委員長を務め、シアトル在留日本人の救済のために立退き問題に就ての聴聞会にラングリーワシントン州知事、ミルキンシアトル市長等のシアトル市有力者9名の證人のひとりとして出席した。

『北米時事』最後の発行となった1942年3月12日号第一面に、市協緊急防衛委員会のスタッフ達が事務所で奮闘している時の様子を撮影した写真が掲載された。

『北米時事』1942-3-12-「JACL写真」

立退きを迫られるシアトル日系人救済のために多くの関係機関と懸命に連絡している様子が臨場感をもって如実に伺える。

以上の日系市民協会の歴史を添付の年表にまとめてみた。

日系市民協会(JACL)の歴史
『北米時事』(1934年以降)、及び文献(1921〜1932年)より筆者作成

内容 代表者名
1921 9月 シアトル革新連盟創立 大沢茂
1928 二世市民運動結成のために
シアトルで会合呼びかけ
坂本好徳
1929 日系市民協会創立 大沢茂
1930 全米市協第一回大会(シアトル)
1932 全米市協第二回大会(ロサンゼルス)
1934 8/31~9/1 全米市協第三回大会(サンフランシスコ) 野垣健雄
1935 10月 市民協会演芸会
1936 全米市協第四回大会(シアトル) 坂本好徳
1938 9月 全米市協第五回大会(ロサンゼルス)
1939 3月 母の会結成、第一回会合
4月 コミュニティ・ナイト「楽しき一夜」開催
11月 市民協会演芸会
12月 二世歌姫松田嬢独唱会
1940 2月 第二世の有権者登録一千突破 野垣健雄
市選候補者を市民協会で招く 同上
3月 新事務所設置(メーン街517) 同上
1942 2月 市協西北部評議会役員選挙 西北部評議会議長 井芹タム
全米市民協会正岡氏シアトルに来る 全米市民協会 正岡書記長
坂本防衛委員長語る 防衛委員長 坂本好徳
立退き問題に就ての聴聞会 同上

次回は幼少時日本へ帰国し、再渡米した帰米二世によって結成された帰米日系市民協会の活動についてお伝えしたい。

*記事からの抜粋は、原文からの要約、旧字体から新字体への変更を含みます。


参考文献

①竹内幸次郎『米国西北部日本移民史』大北日報社、1929年
②在シアトル日本国総領事館『ワシントン州における日系人の歴史』在シアトル日本国領事館2000年
③在米日本人會事蹟保存部編『在米日本人史』在米日本人會、1940年

筆者紹介

山口県上関町出身。1974年に神戸所在の帝国酸素株式会社(現日本エア・リキード合同会社)に入社し、2015年定年退職。その後、日本大学通信教育部の史学専攻で祖父のシアトル移民について研究。卒業論文の一部を本紙で「新舛與右衛門— 祖父が生きたシアトル」として連載した。神奈川県逗子市に妻、長男と暮らす。

『北米時事』について

鹿児島県出身の隈元清を発行人として、1902年9月1日創刊。最盛期にはポートランド、ロサンゼルス、サンフランシスコ、スポケーン、バンクーバー、東京に通信員を持ち、約9千部を日刊発行していた。日米開戦を受けて、当時の発行人だった有馬純雄がFBI検挙され、日系人強制収容が始まった1942年3 月14日に廃刊。終戦後、本紙『北米報知』として再生した。

新舛 育雄
山口県上関町出身。1974年に神戸所在の帝国酸素株式会社(現日本エア・リキード合同会社) に入社し、2 0 1 5 年定年退職。その後、日本大学通信教育部の史学専攻で祖父のシアトル移民について研究。卒業論文の一部を本紙「新舛與右衛門―祖父が生きたシアトル」として連載、更に2021年5月から2023年3月まで「『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史」を連載した。神奈川県逗子市に妻、長男と暮らす。