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シャーリー・テンプルの 幸せのブルーダイヤモンド

文:金子倫子

新横綱・稀勢の里の、先月の奇跡の優勝はご存じだろうか。負傷押して出場のうえ、照ノ富士を相手に優勝決定戦を勝ち進み、まさかの2連勝で奇跡の優勝。新横綱の優勝は、元横綱貴乃花関以来、22年ぶりのことだとか。初優勝よりも、喜びの深い優勝だった。

日本全国の相撲ファンが、稀勢の里関の初優勝と横綱昇格、そして22年ぶりの新横綱・稀勢の里の優勝に沸き、浮きあしだっているこの数か月。一方では、天皇生前譲位という、日本という国について考えさせられる課題も進行中である。解決の糸口すら見えない国際問題も山積みで、トランプ大統領の政治的手腕もはっきりしない。

そんな風に、外交という事を何となく考えていた時に、とても意外な外交官を思い出した。その人の名は、シャーリー・テンプル。私自身も、彼女が出演した作品をじっくり見たことはないのだが、ブロンド縦ロールヘアーのえくぼの少女という姿は、はっきりと思い浮かべることができる。シャーリーは、1930、40年代のアメリカおいて国民的な子役で、世界恐慌や大戦という暗い時世にあっての希望でもあった。5歳でフォックス・フィルムと7年契約を結んだというのだから、この小さな女優の実力や期待が想像できる。

子役は大成しない、とはよく言われるが、このシャーリー・テンプル、実は外交官として活躍したのだ。本人が「自分の人生は女優、母親、外交官という3つの時代からなっている」とインタビューで語った通り、22歳で再婚して3人の子供の子育てをしながら外交官としても活動するようになっていた。自由選挙や人権侵害の分野で活動したり、冷戦時代に東西間の緊張緩和に努めたりし、「アメリカ外交の秘密兵器」とも言われたそうだ。10歳の時に、エレノア・ルーズベルト元大統領夫人と並んで、座りながら談笑している写真がある。その様子は、16歳だったビル・クリントン元大統領が、ジョン・F・ケネディ元大統領と握手しているイメージとも重なる。シャーリーは、既に超有名子役だったので、政界・財界の大物とも会う機会が多々あっただろう。もしかしたら、外交政治に目覚めたのは、幼き日の大統領夫人との対面があったのかもしれない。

外交官としてのシャーリー・テンプルがフォーカスされたのは、昨年、彼女が生涯身に着けていたブルーダイヤモンドがオークションに出されたからだ。シャーリーは1969年に国連代表団に加わったのだが、そこで誓いを立てた右手に輝いていたのが、そのブルーダイヤモンド。彼女が生涯に渡り身に着けていたことを証明するかのように、オークション出品の際には、この写真がプロモーション用につかわれていた。

なんとこのダイヤモンド、シャーリーの父親であるジョージ・テンプルが、映画「ブルーバード」の完成記念に、ブルーにちなんで12歳のシャーリーにプレゼントしたものである。当時$7200程だったという、ティファニー社製の、この9.54カラットのVVS2のファンシーディープブルーのダイヤモンド。シャーリーが活躍した1930、40年代を象徴するアールデコのデザインで、小さな四角いバゲットカットのダイヤモンドがアームに並んでいる。一年前の4月にオークション出品された際は、予想落札価格が$25~35ミリオンだった。しかし何と、どうやら買い手がつかなかったようだ。

恐慌時代のアメリカの希望の象徴でもあったシャーリーが、生涯に渡り身に着けて愛でたブルーダイヤモンド。その付加価値を除き、ただダイヤモンドの大きさやグレードから判断しても、$25ミリオンはべらぼうな値段ではない。それにもかかわらず、売れなかったというのは本当に不可思議である。

有名なブルーダイヤモンドはいくつかあるが、もっとも有名なものであるホープダイヤモンド。呪われたといういわくつきの逸話が多いせいで、何となく幸福感の漂わないブルーダイヤモンド。しかし、シャーリーの例でいえば、12歳から85歳でその生涯を閉じるまでの幸せな人生に寄り添ったブルーダイヤモンド。女優に固執することなく、外の世界に目を向けたからこそ、子役以後の人生も充実したものになったのだろう。幸せの青い鳥を象徴するように、「幸せは実はすぐ隣にある」。そんなブルーだったのかもしれない。

80年代のアメリカに憧れを抱き、18歳で渡米。読んだエッセイに感銘を受け、宝石鑑定士の資格を取得。訳あって帰国し、現在は宝石(鉱物)の知識を生かし半導体や燃料電池などの翻訳・通訳を生業としている。