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INTERVIEW: めぐみ保育園 園長 鈴木芳美さん

日本語と日本文化を取り入れた乳幼児保育を1992年から続けているめぐみ保育園。創立者として園長を務める鈴木芳美さんに話を伺いました。

取材・文:室橋美佐

 

相手の気持ちを思いやったり、年長者を敬ったりという、
日本的な常識やマナーが当たり前のこととして
身に付くような幼児教育の場を作りたい

おじいちゃまおばあちゃまたちに迎えられたシアトル移住

「英語も話せないままシアトルへ来た14歳の私を、日系1世のおじいちゃまおばあちゃまたちが迎え入れてくれたんです」と話すのは、めぐみ保育園園長の鈴木芳美さん。素敵な笑顔でテキパキとインタビューに応える姿からは、大らかな優しさがにじみ出る。芳美さんは、父親が高校教員を辞めてシアトル日本人バプテスト教会の牧師に就いたことをきっかけに、中学生で母や姉と共に、父に付いてシアトルへ移住した。同教会は1899年に日系1世によって創設され、芳美さんがシアトルに来たばかりの80年代当時は日系1世の年長者たちが教会コミュニティーの中心にいたという。「日本以上に日本的な社会がアメリカにあることに驚きました。おはぎを作ってもらったり、舞踊を教えてもらったり、本当に良くしていただきました」

高校時代には教会近くの高齢者向けアパート、川部メモリアル・ハウスで配膳のアルバイトをし、そこでも日系1世の住人たちと親交を深めた。「3世に当たる孫世代ともなると日本語を話せないケースが多くありました。私のような高校生と日本語で会話する機会はあまりなかったのではないでしょうか。交流をとても喜んでくれました」。そんな影響もあり、若者としてはめずらしく国風流詩吟の稽古へ通い、シアトルで活躍していた宮辺孝満さんに弟子入りもした。日系1世たちとの出会いは、その後のめぐみ保育園創立にもつながっていく。

 

日系1世の方々が孫たちと日本語で
会話できない姿を目にしてきて、
次の世代に向けて日本語を教えたいと強く感じていました

 

日本語を介して孫と心の底から通じ合って欲しい

「小さな頃から幼稚園の先生になることが夢でした」と話す芳美さん。実は、芳美さんの母方の祖父母は長年にわたって、めぐみ愛児園というキリスト教精神に基づく幼稚園を日本で営んでおり、芳美さんの母親も園に勤めていた。家庭環境を考えれば、芳美さんが迷いなく幼児保育の道へ進んできたことは自然な流れだったのかもしれない。ウエスト・シアトルにあるクリーブランド高校を卒業すると、シアトル・セントラル・カレッジの幼児教育課へ進学。日系人講師の飯田静子さん指導の下、幼児教育について学び、乳幼児保育の実地経験も積んだ。そして、大学卒業直後にめぐみ保育園を創設した。

開園当時の芳美さん

当時、芳美さんはまだ23歳。なぜ、自分で園を創設しようと思ったのだろうか? 「大学4年間の勉強と実地経験の中で、日本の教育とアメリカの教育の良いところを組み合わせた保育をしたいという気持ちが芽生えてきました」と芳美さん。そして何よりも、教会や川部メモリアル・ハウスで交流を深めた日系1世へ恩返ししたいという思いがあった。「日系1世の方々が孫たちと日本語で会話できない姿を目にしてきて、次の世代に向けて日本語を教えたいと強く感じていました。同じ言葉を使って心の底から通じ合って欲しいと思ったんです」

シアトル初の日英バイリンガル保育園、誕生

めぐみ保育園は、シアトル初の日英バイリンガル保育園として、1992年にオープン。早速、日系1世たちが孫の手を引いて訪れた。「オープンハウスには、教会のおばあちゃまたちが手伝いに来て、テリヤキ・チキンを参加者へ振るまってくれました。おじいちゃまたちは庭の手入れなどをしてくださいました。大学時代にレポーターとしてアルバイトをしていたシアトルの日本語ラジオ放送局、JENからは特別に広告枠をいただいて、日系コミュニティーへ開園告知をすることもできました」と、芳美さん。教会、川部メモリアル・ハウス、国風詩吟会、JENと、中学から大学まで関わった日系コミュニティーの各方面からのサポートがあってこそ、めぐみ保育園をオープンできたのだと振り返る。
芳美さんが思い描いていた、「相手の気持ちを思いやったり、年長者を敬ったりという、日本的な常識やマナーが当たり前のこととして身に付くような幼児教育の場」が誕生したのだ。

1994年の園児たち。芳美さんの母、沢野洋子さんは姉妹紙『北米報知』の元編集スタッフで、園の話題が紙面でしばしば取り上げられた

それでも、初年の園児はまだ8名。ビーコンヒルにキャンパスとして借りた小さな一軒家への家賃と、保育スタッフとして協力してくれる友人への支払いを賄うために、夜間は日本食レストランでアルバイトもこなした。「牧師をしている父には『アメリカへ来たら自分のことは自分でやらないといけない』と教えられていて、大学入学資金なども自分でやりくりしていました。そのおかげで自分で資金繰りをすることは自然と身に付きました。保育園の立ち上げを知った横浜の祖母が300万円を貸してくれたので、まずはそのお金を返済しようと、必死に頑張りました」。そうして始まっためぐみ保育園も、2年後には24名の園児を受け入れるようになって軌道に乗り、現在ではベルビュー校122名、シアトル校43名の園児を抱えるシアトル地域最大の日英バイリンガル保育園に成長した。最初の卒園生たちは、すでに30歳を超えている。

 

人生で困難にぶつかったときこそ、
たくさんの愛情を受けて育ったことが強みに

「園の先生たちは、園児と実の子どものように接していて、子どもたちの成長を楽しみに毎日を過ごしています。卒園時には、『いい時間をありがとう』と言いたいくらい、子どもたちへの感謝でいっぱいになります。人生で何か困難にぶつかったときには、めぐみ保育園でたくさんの愛情を受けて育ったことを思い出して欲しい。幼児期に受けた深い愛情は大きな力になるはず」と、芳美さん。現在では子どもたちと直接関わるのはスタッフに任せており、頑張っている現場の先生たちをハッピーにするのが芳美さんの仕事なのだという。「現場に横から入って、一面だけを見てジャッジを入れな
いように気を付けています」。インタビュー当日も、芳美さんからスタッフへ、あんみつの差し入れが。こうしたスタッフと子どもたち、園長とスタッフたちの愛情にあふれる関係が、めぐみ保育園の人気につながっているのだろう。

めぐみ保育園には、日本人や日系アメリカ人の家庭以外からの園児も多い。それは、日本語と英語のバイリンガル教育という言語面だけではなく、日本の文化や食生活を取り入れた教育方針に魅力を感じる保護者が多いからだ。3人の専属給食スタッフが学校内の調理室で作るこだわりの給食は、子どもたちからも大人気だ。日系コミュニティーとのつながりも強く、園児が高齢者向け施設のシアトル敬老を訪れて日本の歌を合唱したり、同じく日系マナーの住人をめぐみ保育園へ招待したりといった交流が続けられている。

中高生の息子ふたりのお母さんという一面も持つ芳美さん。仕事以外でも、シアトル日本人バプテスト教会聖歌隊に参加したり、息子たちが通う柔道道場でボランティアをしたりと、日系コミュニティーで活躍している。数代続くキリスト教徒の家系で「常に家に誰かを招いているような家庭環境」で育ってきた芳美さんは、おそらく根っからの「世話好き」「人好き」なのだろう。そこに、14歳で渡米してから自立して歩いてきたたくましさが重なって、理想の乳幼児保育の場を作り上げるという夢を着実に形にしている。アメリカに住む日本人女性のロールモデルとして、これからもシアトル日系コミュニティーの中で輝き続ける彼女の姿が見られそうだ。

めぐみ保育園シアトル校ディレクターのサンダーズ彩さん(左)、1997年から最も長く勤めている保育士の幸田道子さん(中央)と共に。現在、ベルビュー校30名、シアトル校12名のスタッフがいる

 

鈴木芳美■中学2年生の時に、父親がシアトル日本人バプテスト教会牧師に就いたために、生まれ育った横浜からシアトルへ家族で移住。 教会での活動や、川部メモリアル・ハウスでのアルバイトを通してシアトル日系1世の高齢者と親交を深める。シアトル・セントラル・カ レッジで幼児教育を学んだ後にめぐみ保育園を創設し、26年にわたって園長を務める。

めぐみ保育園
QUALITY CHILDCARE AND JAPANESE IMMERSION EARLY EDUCATION

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乳幼児を対象に日本語と日本文化を取り入れたカリキュラムで保育を行う。子どもたちが経験を通して、長い人生を生きていくために大切なことを学ぶ場を提供し、「けんかはダメ」ではなく、お友だちとの衝突を通して「どうしてこうなったか」「他に方法がなかったか」「次はどうしたいか」を考える。経験豊かな保育士たちに見守られながら、小さな経験を繰り返し積み上げて「意欲」と「思いやりの心」を育てる。
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北米報知社ゼネラル・マネジャー兼北米報知編集長。上智大学経済学部卒業後、ハイテク関連企業の国際マーケティング職を経て2005年からシアトル在住。2016年にワシントン大学都市計画修士を取得し、2017年から現職。シアトルの都市問題や日系・アジア系アメリカ人コミュニティーの話題を中心に執筆。