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アイリーン・ヒラノ・イノウエさん

日米の絆をつなぐ米日カウンシル会長
アイリーン・ヒラノ・イノウエさん 

筆者:福田 恵子

「今始めないと手遅れに」

全米日系人博物館(JANM)の創設時から約20年にわたって館長を務めたアイリーン・ヒラノ・イノウエさん。2009年、アメリカと日本の絆を強固にすることを目的に彼女が立ち上げた米日カウンシル(USJC: US Japan Council)は昨年10周年を迎えた。その節目の2019年秋、ロサンゼルスでアイリーンさんに直接取材する機会に恵まれた。実は取材準備でリサーチするまで、USJCの団体名を聞いたことはあったが、何をしているのか深くは知らなかった。なぜアイリーンさんがそのような団体を立ち上げたのかについても無知だった。一部の日系人のための組織だと思い、私たちのような日本生まれの日本人には関係がないと思っていたからだ。

アイリーンさんはこれまでにも様々な機会を通じて話しているように、JANMでの20年で多くを学んだと振り返る。ロングビーチに日系3世として生まれた彼女自身は、母親が日本生まれだったことから、もともと日本や日本人に対して親しい感情を持っていた。しかし、すべての日系人が同じだとは限らないのだということをJANM時代に多くの人との交流を通して知ったそうだ。つまり、自分たちの祖先が日本のどの地域からどのような目的でやって来たのか、今の世代までどのようにつながっているのかについて知らない日系人は意外と多いのだ。そういった意味でも、JANMは日系人に自分たちのルーツや祖先が経験したアメリカでの苦難や栄光の歴史を伝え、非日系人対しては日系人とは何者であるのかを知らせることで重要な貢献を果たしてきたと言える。そして、館長時代にダニエル・イノウエ上院議員と結婚したアイリーンさんは、次の世代のリーダーに同館を任せるべき時が来たと感じると同時に、ワシントンDCとロサンゼルスとの往復が困難だったことから館長を退任した。その後、ワシントンDCを拠点に立ち上げたのがUSJCだ。

アイリーンさんは「今、日系人による日米関係の強化を進めなければ、時間が経てば経つほど手遅れになってしまう」と感じたことがUSJC立ち上げの動機になったと語る。こうして、日系アメリカ人にとって自らのルーツである日本との関係を発展させるために、実際に人々の交流が促進されるべきであると提唱し、その交流を牽引するリーダーの育成プログラムを日米両国で展開して来たUSJC。この10年で500人以上のリーダーと約200人の若い世代のリーダー、互いの交流を促進してきたのだとアイリーンさんは胸を張る。例えば、USJC設立当初に立ち上げた「Emerging Leaders Program」では、地元のコミュニティーで積極的な活動に従事し日米関係に関心を持つ25歳から35歳までの日系人を選出し、彼らにセミナーなどを通じて教育の機会を提供すると同時にネットワークも構築してきたそうだ。

明確なビジョンと協働

アイリーンさんが日系人をいかに日米関係に関わらせるかに腐心してきたかを聞くにつれ、取材者の立場を超え、当初「USJCは日系人のための組織であって、日本生まれの私にはあまり関係がない」と思っていた当初の考えが変わっていった。彼女の話に強烈に引き込まれ、感情移入していった。なぜなら、これまで公私両面で多くの日系人に会ってきたが、ここまで具体的に日系人の心を日本に向かわせ、動かす努力を実行に移した人はいなかったのではないかと思えたからだ。

私たち新一世の子どもたちはアメリカで生まれ育っている。彼らは2世としておそらく将来的にもアメリカで生活していくことになるだろうし、私たちのようにアメリカで暮らす日本人が日系人と関わっていくことは避けては通れないはずだ。それなのに、「私たちがアメリカで生活できるのはアメリカ社会で実績を積んできた日系人のおかげだ」と言葉では言いながらも、日系人と新一世の間に無意識に線を引いていたことに突然気づかされた。

では、何ができるのか? 日本語と英語を両方理解する2世の子どもたちが日米の架け橋になれるように私たちの世代は彼らの背中を押せるのではないだろうか。その時に友人の娘が2年ほど前にUSJCでインターンをしていたことを思い出し、アイリーンさんに聞いてみた。彼女はそのインターンの名前に即座に反応し、大学名を言い当てた。その反応に彼女が一人一人と向き合って若い世代を牽引している姿が浮かんだ。

USJCを立ち上げた時に「今、活動を始めないと手遅れになる」と感じたと同時に、彼女は異民族間との婚姻が進んだ日系人の現状を考慮し、日系社会の定義自体も幅広くとらえ、できるだけ多くの人に参加を呼びかけるべきだと強調する。そのためにもアイリーンさん自身がロサンゼルス、ワシントンDC、ハワイ、そして日本を忙しく行き来し、できるだけ多くの人と出会いの機会を持つようにしていると語る。

最後に強力なリーダーの条件について聞くと、彼女は次のように答えた。「明確なビジョンを持ち、他の人たちと協働していく能力を持っていることが重要です」。そのリーダー像はアイリーンさん自身に重なって見えた。

そして、今回の取材終了後、2020年の年末をもってアイリーンさんが引退することが報道された。「リーダーの中のリーダー」である彼女の引退は残念であり、USJCにとって、また日系社会にとっても大きな損失だが、私は引退前に取材できた幸運に感謝している。

*編集注記:同記事は、全米日系人博物館が運営するディスカバー・ニッケイ(discovernikkei.org)に2月19日に掲載された記事を転載したものです。アイリーン・ヒラノ・イノウエさんは、同紙でも告知記事を掲載しました通り、4月7日に他界されました。ご冥福をお祈りいたします。

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。