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ヒラリバー収容所

仕事の関係でアリゾナ州フェニックス周辺にいる。この地では現在、大リーグのスプリングトレーニングが行われている。ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手を含め日本人選手の動向も連日報じられている。

大谷選手のキャンプ先テンピからさほど遠くない場所にヒラリバー日系人収容所跡地がある。カリフォルニアからの日系人を中心にピーク時には1万3千人強が生活したという。今は故人となった2世の知人から、同所で生活を送った話を生前に聞いたことがあった。シアトルにいたこともあり、あまり耳にすることのなかった収容所だが、この機会に足を運んでみようと思い立った。

フェニックスからは車で南へ30分弱。郊外の町を抜けると周りは一気に荒野となる。フリーウェイを降り、大規模な農場を走る未舗装の道を進むと、小高い丘の上に白い記念碑が見えてくる。途中の道には崩れた建物の土台のようなものもあった。収容所は2カ所で構成され、こちらはビュート・キャンプ。南側で水路が流れる場所に位置したカナル・キャンプにも記念碑があるという。

以前訪れたアイダホ州のミネドカ収容所跡地と比べ、荒野という立地条件は同じでも空気感が違う。3月初旬の春先だが、南部ならではの陽の強さを感じる。地元記事を見ると、華氏80度を超えるとガラガラヘビが眠りから目を覚まし活動を始めるという。今年は例年より気温が低い時期が続いたようで、当日の最高気温はまだ華氏70度を超える程度。それでも日差しは厳しい。自然や野生動物の脅威と向き合いながら過ごした3年あまりの生活の厳しさが見て取れた。

青々とした空と土色の荒野。75年を過ぎても色はほぼ同じだろう。改めて今の時代に生きる自分と、当時の日系関係者の立場を比べてみる。鉄条網に囲まれ、銃口が向けられていた彼ら。75年後、わずか30分ほどしか離れていないフェニックス周辺で何も差別なく心おきなく仕事をしている自分がいる。

もう少し史跡に触れようと考えていると、イチロー選手のマリナーズ復帰間近の報道を受けた。75年前への思いは一気に吹き飛び、鉄条網に囲まれていない荒野を一気に抜け、現実の世界へ向けて車を飛ばした。

(佐々木志峰)

オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。