Home コラム 一石 日系のルーツ〜一石

日系のルーツ〜一石

By 佐々木 志峰

日本への海外からの訪問者数が相変わらず好調のようだ。日本政府観光局によると、2月は過去最高となる278万人強で、新型コロナウイルスのパンデミック前だった2019年から7・1%増だという。

一方で出国した日本人数を2019年と比較すると、1月は42・3%減、2月も36・2%減。いずれも100万人に達しなかった。円安環境が大きく影響しているのだろう。2019年と今年で3月29日終値での為替を見ると、前者は1ドル110・84円、後者は151・31円だ。

そんな中でも米国内は旅行で人が動き続けている。春休みやイースターもあり、出張で乗る飛行機はことごとく満席のアナウンスがされている。 人の移動といえば、1世紀以上も昔に日本から海外へと向かった人々がいる。各地に根付き、コミュニティーの礎を築いてきた日系移民。その功績をたたえられ、その土地の施設、道路には彼らの名前が冠されることも少なくない。

最近滞在したアリゾナ州でもそうした話を耳にした。フェニックス近郊のメサには「イシカワ」小学校がある。日系農家として暮らし、1932年の当時17歳で不慮事故死を遂げた故ジロウ(通称Zedo)・イシカワさんの名前を冠している。地元紙によると、彼が通った高校では、フットボールチームの人気選手だったそうだ。死の直前に残した言葉「Carry on」は学校に伝わり続ける合言葉、モットーとなり、世代を通して紡がれてきているという。

仕事現場で耳にした話によれば、野球の大リーグ選手として活躍し、現在はサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下のチームで打撃コーチを務める当地出身の日系四世、トラビス・イシカワさんが縁者だとか。

移動時間が迫り多くを聞けなかったが、その話をしてくれた相手のルーツはさらに興味深い。メキシコをゆかりとするが、曽祖父は日本から渡ってきた歯科医だったそうだ。彼は周囲からの偏見から逃れるため日本に一時帰国したことで、家族と生き別れに。母方はやがてロサンゼルスへと移り、苗字は差別を避けて日本のものを使うことはなく世代を重ねてきた。日本名はヨシダだという。

悲しいストーリーが背景にあるが、それでも前に進んできた日系移民たちの奥深い歴史を改めて実感するひと時だった。

オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。