Home コラム 一石 土地に残る日系の名称

土地に残る日系の名称

米国各地には地域の開発やコミュニティー貢献をたたえた人物の名を土地や道路に冠することが多い。日系移民の名もその例にもれない。ベインブリッジ島に行けば、コウラ一家の名前を冠したコウラ・ロードがある。大北鉄道がカスケード山脈を越える付近にあるハマダ・レイクもその1つだ。

 6月末にテキサス州のヒューストンを訪れた。全米4位の人口を誇る広大な大都市から南へ走るフリーウェイ45号沿いにも日系移民の名を冠した道路がある。「コバヤシ・ロード」というそうだ。

 ヒューストンの南に位置するウェブスターという小さな街を南北に短く走る通りで、航空宇宙局(NASA)に向かう道中に標識が目に入る。同地に入植し農業を営んだ小林光太郎氏をたたえたもの。街が発展する中で所有地が提供され道路化されたという。

 このウェブスターの地域には20世紀前半に西原清東(さいばら・せいとう)氏が約30人の入植者を率い日本の米農業を持ち込んだという。小林氏もその入植者の1人だったそうだ。同志社の社長を務め、日本で衆議院議員になった経歴を持つ西原氏は、日本から「神力(しんりき)」と呼ばれる米種を持ち込み、テキサスの米生産を大きく伸ばすことに貢献した。

 西原氏や小林氏をはじめ、テキサスでは日系移民の入植が続いた。ヒューストンを走るマエカワ・ロード(Mykawa Road)は同時期に稲作を展開中に事故死を遂げた前川真平氏の名を冠している。ヒューストン東の郊外にはかつて「JAP」ロードと名付けられた道路があり、人権団体のJACLらが名称変更の活動を起こしたことがあった。日本移民のマユミ一家が同地で広大な米農業を行い、敬意を表して冠された名称だったようだが、時代とともに言葉の意味合いが変わってしまった。15年ほど前に名称が変更されたことを覚えている。

 ヒューストンの日差しは強く、いわゆる「ゲリラ豪雨」のような雷雨もあった。コバヤシ・ロードの小林氏は野菜や薩摩みかんを育てたとあるが、その頃のヒューストンの天候は今と変わらなかったのだろうか。

 無から作り上げた日系移民の力に改めて感服した。   

(佐々木 志峰)

オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。