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デー・オブ・リメンバランス 強制収容2度と起きぬよう

Photo Courtesy of the Washington State Commission on Asian Pacific American Affairs

ワシントン州議会は2月20日、第二次大戦中に日系人コミュニティー・メンバーの被った苦難を回顧し、同じような過ちが繰り返されないようにと「デー・オブ・リメンバランス決議」を満場一致で採択した。

まだところどころに雪の残るオリンピアに、シアトル及び近隣のコミュニティーから日系市民協会(JACL)や二世退役軍人会(NVC)メンバー、各日系団体代表、収容所体験者らが集まり、下院傍聴席で議事進行を見守った。

1942年2月19日、当時のフランクリン・ルーズベルト大統領が、陸軍長官に大幅な権限を与える大統領命令9066号に署名。これにより西部防衛司令官は西部沿岸地域の日本人・日系人の夜間外出禁止令、続いて強制立ち退き令を布告し、ベインブリッジ島の日系住民を手始めに12万人が全米10カ所の収容所に送られた。そのため、日系コミュニティーでは、2月19日をデー・オブ・リメンバランスとし、毎年その前後に各地でイベントを開催。ワシントン州議会も、故キップ・トクダ下院議員らの尽力でこの「決議」が開始され、毎年この時期の恒例となっている。

ワシントン州下院議会は午前10時過ぎ、シアトル別院ボーイスカウト252隊による国旗入場、タコマ仏教会開教使の宮地 崇氏による祈りの言葉で始まった。そしてシャロン・トミコ・サントス下院議員が、大戦中に西沿岸部の日系人が強制収容所に送られ戦後も苦難の続いたこと、収容所から2世の多くが戦場に赴きアメリカのために戦ったこと、強制立ち退きの不当性を主張して行動した2世もいたことを述べて、このような強制収容は2度と起こさせてはならないとの決議案を提出。続いて、党派を超えた議員3人が支援のスピーチを行い、全会一致の可決となった。その後、収容所体験者と退役軍人が紹介され、傍聴席で起立すると、議場の議員たちから拍手が送られた。

シアトルから参加したブルース・イナバさんは、故人となった両親が収容所体験者。ヤキマに生まれ育った父のシェーンさんはワイオミング州のハートマウンテンに、オレゴン州北部に生まれ育った母のミヨコさんはカリフォルニア州ツールレイクの収容所に送られた。シェーンさんはやがて志願して兵役につき、陸軍情報将校(MIS)を養成するミネソタの訓練所に。ミヨコさんもまた、学業のために収容所を出ることを許されてミネソタへ。ふたりは、そこで出会って結婚したという。「私がこの行事に参加するのは、まず両親をたたえるため。そして、当時の偏見と差別に基づいた日系人強制収容に抗議するためです。特に今はまた、同じように偏見に基づく差別が起こりかねない時代だからでもあります」

議事を傍聴した一行は昼食後、イベントを支援して準備に当たったサントス下院議員、ボブ・ハセガワ上院議員らと対面。強制収容の歴史を伝えるデンショー、ウイング・ルーク博物館、ベインブリッジ島歴史博物館の代表者からの活動報告に耳を傾けた。

サントス下院議員は、日系人強制収容を直接間接に知る人がますます少なくなっていく今、かつての強制立ち退きの事実を全く知らない人々に、いかに教訓としての歴史を伝えていくかが今後の課題であると強調。それら教育・広報プロジェクトの重要性を、参加者も強く再認識した1日となった。

傍聴席で議事を見守る人々

(文・写真 楠瀬明子)

福岡県出身。1988年から99年まで北米報知編集長。