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不安な出張〜一石

 年明けに突然出張の依頼が届き、カリフォルニア州に飛んだ。

 大都市ではなく雪深く覆われた山間部に向かうことになり、隣州のネバダ州にある大きな街まで飛んでから車で一人旅。3年ほど前に同じ場所に出張したことがあり、その時も通った山道。この時は雪降る日暮れの運転で緊張の時間だったが、今回は雪量も少なく天候にも恵まれた。眼前に重なる雪の峰々が美しい。

 オミクロン株が猛威を振るう中の旅路は空港も混雑なく順調だった。新型コロナウイルスの検査を受け、筆者を含め業務関係者は陰性を証明してからの会場入り。だが、良かったのはここまでだった。

 イベント中の会場では一般の人々も多数訪れ、しっかり検査を受けてマスク着用義務の業務関係者とのスペースで境はゼロに等しかった。ソーシャルディスタンスはなく、寒さもあってアルコールも入った人々の大声、歓声が背後から幾多も発せられた。

 検査を受けて陰性が分かるまでは、思わず感染の不安が頭をよぎる一日だった。

 さて会場を離れて帰路の道中。高速で走る車中から「トパーズ」という道路サインを見た。ちょうどカリフォルニア州とネバダ州の境に位置し、レイク・トパーズという湖がある。湖の周辺であれば、景色も良いだろうが、その道路サインを見たところは遠くに雪山を見るだけで何もない雪原だった。

 氷点下に近く、乾燥もしているだろう。風で「ダンブルウィード」と呼ばれる枯れ草の塊が転がっている。後で調べるとそこはおそらく牧草地と小川が交わる平地だった。

 ふと頭に浮かんだのが、第二次世界大戦中の日系人強制退去で収容所の一つとなったトパーズだった。ユタ州トパーズに位置するため全く別の場所だが、荒野の中につくられた「町」で生活するイメージが道中の頭で描かれた。

 偶然か、この道路は南に走れば同じく日系人収容所のあったマンザナーがある。

 日系人強制退去は2月で80年。新型コロナウイルスという先の読めない不安。そして定住の地を強制的に追われた80年前の日系人の不安も思い描きながら、出張の帰路を急いだ。

(佐々木 志峰)

オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。