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レスブリッジ

カナディアン・ロッキーは視界のはるか先。想像と違った景色の中、延々と広がる牧草の平地を目に車を走らせる。カナダ西部アルバータ州の大都市カルガリーから南東へ車で2時間半。レスブリッジという小都市に入った。

 人口10万人に満たない地方の街ながら日系人との縁もあり、資料によると、日系移民の初期時代に近郊の農場や炭鉱の町に数百人が移り住んだとある。

 仕事場となった会場の近くには歴史を感じさせる柔道道場が建っていた。足を運ぶ機会はなかったが、街の中には日系商店もある。街の中心から近い湖のそばに日加友好日本庭園という名を冠した立派な庭園が広がる。カナダ建国100周年の1967年に開園されたという。

 街の象徴は脇を流れるオールドマン川にかかる巨大鉄橋。全長約1㍄で高さ314㌳と壮観。110年前の1909年に完成したものという。当時シアトルではアラスカ・ユーコン太平洋博覧会が開かれ、いよいよ街が成長を遂げ、「日本」という存在も認識され始めたころだろうか。

 当時の鉄橋建設、その後の線路の補修、修復作業にあたる日系工夫もいたのではないか。当地クイーンアンにある墓地に、カナダ・バンクーバーから近いニューウエストミンスター近くの事故で死亡した日系工夫23人の霊を納めた墓石があることを思い出した。グレートノーザン(大北)鉄道による事故で1909年だったという。

 レスブリッジの鉄橋はカナディアン・パシフィック鉄道の路線。同鉄道は「シルクトレイン」が有名で、2014年に日本の富岡製糸場が世界遺産に登録された際にシルク(絹)を通じた日本と北米との関係が話題になった。日本からのシルクが太平洋航路で北米西海岸に送られ、そこから「シルクトレイン」と呼ばれる特別貨物列車でニューヨークへ届けられた。米国の各港に比べ、太平洋航路で1日早く到着できるカナダ・バンクーバー、そしてニューヨークへと結ばれるカナディアン・パシフィックの路線は日本の経済発展の根幹となった。

 同鉄道のシルクトレインがレスブリッジの鉄橋を渡ったかは調べることはできなかった。それでも貨物を連ねた列車が連日走る姿と、そこに連なる歴史を今一度重ねてみた。

(佐々木 志峰)

オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。