日系アメリカ人の歴史に学ぶ
アメリカの人種問題と市民運動
「ブラック・ライブズ・マター(BLM)」のムーブメントが全米で広がる中、アメリカ社会にある制度的人種差別の撤廃を求める声が高まっている。日本人にとってはなじみの薄い人種差別の問題を長年にわたって経験し、そして乗り越えてきたのが日系アメリカ人コミュニティーだ。アメリカ社会ならではの人種や移民の問題について、日系アメリカ人の歴史と現在に続く活動から考える。
日系人の地位向上から、全てのマイノリティーのための活動へ
日系アメリカ人市民同盟シアトル支部
全米最古のアジア系アメリカ人による市民運動団体として、全米各都市で活動を続ける日系アメリカ人市民同盟(JACL)。昨年からシアトル支部代表を務めるスタンリー・シクマさんにインタビューしました。
1920年代からの歴史ある団体
JACLシアトル支部の歴史は、前身のシアトル日系市民協会が設立された1921年までさかのぼる。当時、8,000人ほどに増えた日系移民は、人口約30万人だったシアトルで最大のマイノリティーとなり、白人社会から強い差別の対象になっていた。土地所有の権利を阻んでいた外国人土地法への反対運動、また日系人自身もアメリカ社会になじもうという米化運動など、日系人の地位向上を目指す取り組みが行われた。西海岸各都市でこうした団体が結成され、1929年に全米組織として誕生したのがJACLだ。第1回全米大会は1930年にシアトルで開催された。中心メンバーは、アメリカ市民として生まれた2世たちだった。
第二次世界大戦下では、JACLは米国政府へ「忠誠宣言」を行い、強制収容のさなかでもアメリカ市民としての立場を貫く。戦後は、再び外国人土地法や差別的な移民法の撤廃運動に取り組んだ。アメリカ植民地から移住する形で市民としてシアトルへやってきたフィリピン系や、第二次世界大戦での国家間の協力で市民権の取得がしやすくなっていた中華系とは異なり、外国人土地法と移民法は日系移民にとって大きな障壁として残っていた。JACLが中心になった長年のロビー活動の末に、ワシントン州の外国人土地法は、1966年にようやく撤廃。移民法は、1965年に改正が実現した。
日系人強制収容への謝罪と賠償請求
1970年代には、第二次世界大戦下での日系人強制収容への謝罪と賠償を求める運動を開始する。「キングドーム建設反対運動など1970年から続くアジア系アメリカ人公民権運動の流れで、正義に基づいて活動すれば政府を動かすことができるという認識が生まれた背景がありました」と、スタンリーさんは指摘。「強制収容は日系人にとって大きな出来事でした。誰もが例外なく土地を没収され、収容所で生活することを強要されたのです。祖父母世代の1世、そして両親世代の2世は、強制収容について口にすることはありませんでした。声を上げることで、再び差別の対象になるのを恐れていたのかもしれません」と続ける。
1981年、強制収容された当事者への公聴会がシアトルで行われた。スタンリーさんはコミュニティー紙向けにボランティアで写真撮影をした。「活動は大きなうねりとなっていました。シアトルでは、まだ若かった3世に加えて、ミッチ・ミツユキ・マツダイラ、トミオ・モリグチなどの2世のコミュニティー・リーダーも積極的に動きました。他のマイノリティー・コミュニティーとの連携も欠かせませんでした。より多くの人々を巻き込むことで、政府を動かすことができました」。JACLは、アジア系初の米国上院議員となったダニエル・イノウエ氏など日系政治家らとも連携してロビー活動を続け、ついに1988年、米国政府から日系市民への正式な謝罪と補償金を受けた。
全ての差別へ抗議
日系人の地位向上を目的にしてきたJACLだが、現在ではあらゆる差別の撤廃を訴える立場にある。中華系アメリカ人の若者が日本人と誤解されて殺害された事件が起きた1980年代頃から、アジア系アメリカ人全体の地位向上を訴える立場に。毎年夏に原爆による被爆者を追悼してグリーン・レイクで灯篭流しを行う平和イベント「フロム・ヒロシマ・トゥ・ホープ」の開催にも、スタンリーさんを中心とするJACLシアトル支部が協力してきた。最近では、中南米などからの移民への米国政府による不当な扱いに抗議するなど、日系人が経験した歴史から、移民差別にも目が向けられている。「現在は、昔のように日本町に集まって住んでいるわけではないですし、他の民族や人種との婚姻も増えて、日系アメリカ人というアイデンティティーは複雑になってきています。JACLとしても、そのあり方を変える時かもしれません」と、スタンリーさんは話す。
現在のBLMムーブメントに、スタンリーさんは「正義」と「自分自身の家族のため」に賛同すると話す。「差別がなくならない世の中では、いつ誰が急に差別の標的になるかわかりません。自分自身の家族にまつわる安全の問題です」と強調する。「両親から収容所での生活を聞いた際に感じた怒りと悲しみが自身の正義感の源」と語るスタンリーさんは、先祖が戦時中に受けた差別のむごさと怒りを忘れずに今も活動を続けている。同じような差別がもう誰にも起きて欲しくないという願いの強さを感じた。
Japanese American Citizens League (JACL) Seattle Chapter
☎253-256-2204 info@seattlejacl.org http://seattlejacl.org
*編集注記:同記事は、姉妹紙「ソイソース」8月28日号にも掲載されています。次回は、ワシントン州アジア太平洋問題委員会(CAPAA)について取り上げます。