英語混じりの日本語
2016年2月、30年ぶりに私は1冊の本を手に取った。昨年、ロサンゼルス郊外のハイスクールを卒業したアメリカ生まれの18歳の息子が、日本の私の実家で暮らすことになり、彼の生活設営のために3週間、実家に滞在した時のことだった。住民票を取ったり、国民健康保険に加入したり、携帯電話を購入したり、銀行口座を開設したりとさまざまな手続きをしながら、これから彼のものになる、かつての私の部屋に残された大量の本や雑誌をせっせと整理した。その中に『花嫁のアメリカ』という本があった。
この本には戦後間もなくから朝鮮戦争にかけての時期に、米軍将兵と結婚し、海を渡った日本人女性たちのインタビューと写真が収められている。筆者の江成氏は1978年にロサンゼルスに渡り、人づてに紹介を受けて女性たちを取材し続けた。
「メリーランドのベンブリッジが最後のステーション。スペル?アイドンノー。エニウェイ、ネービーをツレーニングするところで…」
(マリー・ハウザーさんの項より)
英語混じりの文章が印象的だった。いくらアメリカ生活が長いからと言っても、ここまで英語が入ってくるものだろうか、と当時の私は正直そう思いながらも、一人ひとりの独白に引き込まれ、あっという間に100人近い女性たちのインタビューを読了した。
正直さと逞しさと
彼女たちがどうやってアメリカ軍将兵と出会い、結婚を決意し、親にはその決断をどう受け止められ、そして渡米後の生活はどうだったのか、その軌跡が人数分、生々しく語られている。30年前の私が驚いたのは、彼女たちがあまりにも正直なことだった。戦中、戦後と食べるものもなく貧しかった時代に、アメリカ軍関連の店や住宅のメイドとして働けば給料もずっと高く、戦後とは無縁の豊かな生活を送ることができた。そんな日々の中で、疲れきった日本人男性とは違って、明るく屈託がないアメリカ人男性に魅かれるのは自然な流れだったと振り返る女性も少なからずいた。
多くの親は、結婚相手に少し前まで敵国だったアメリカ人、しかも将兵を選んだことを快くは思わなかった。もう二度と故郷には帰って来るな、と言われた花嫁もいた。それでも新しい生活に希望を賭け、愛する男性と海を渡った。その言葉のまま、一度も日本の土を踏んでいないと言う人もいれば、生まれた子どもを連れて里帰りすると空港に家族全員が出迎えてくれていた、嬉しかったと打ち明ける人もいた。
アメリカ側で迎えた夫の親たちの対応もさまざまだった。生まれた子どもの顔を見て「思っていたよりも色が白いんだね」と人種差別的な発言を隠さずに口にする親もいれば、英語が話せない嫁を図書館に連れて行き、子どもの絵本を読み聞かせてくれた義母もいた。
境遇はそれぞれだが、どの日本人女性にも共通して感じたことは、正直さと同時に逞しさだった。
最初の夫と添い遂げた人はそれほど多くない。ある人はベトナム戦争で夫を失った。ヒッピー全盛時代に突然夫が失踪して家に帰って来なくなった人もいた。相手の浮気が原因で夫と離婚した女性も少なくなかった。それでも、江成氏が取材した女性たちは、アメリカに根を張って生き続けた。「アメリカ人として育てた子どものために、頑張ってアメリカに残って働き続けなければならなかった」と、夫と離婚したり死別したりしても、日本に引き揚げなかった理由をそう振り返っている。
彼女たちの逞しさは、1人ずつのインタビューの最初に添えられた家族写真からも伝わってくる。まっすぐカメラに視線を向けた表情からは、凛としたものを感じる。ただし、プライバシー保護のため、数人は匿名、写真なしで登場している。
花嫁たちは実在した
この本を読むことで、留学やビジネスだけでなく、それ以外の理由で海を渡った人たちがいたことを知った。それから
10年後、私自身が日本の出版社を辞めて単身ロサンゼルスに渡った。理由は留学でも駐在でもなく、ましてや結婚でもない。「自分へのご褒美、長期バケーション」だった。
渡米の年に知り合った人に日本人が集まる教会に案内された。そこには、『花嫁のアメリカ』で読んだ女性たちが実在していた。「スミスさん」「ハーパーさん」と英語の名字で呼び合う60代から70代の彼女たち。「私がアメリカに来たのはナインティーンフィフティーファイブだったから」と、あの本の独白と同じ語り口調で話す元花嫁たち。教会のキッチンでトンカツを揚げ、成長した子どもの写真を互いに見せ合いながら、英語混じりの日本語で楽しそうにおしゃべりに興じていた。誰もが幸せそうに見えた。
どんなに苦労を重ねても、「アメリカに賭けたい」と思って海を渡った彼女たちの覚悟は、「ロサンゼルスで働く所がなければ日本に帰ればいいわ」と軽く考えていた私のそれとは段違いに重いものだったはずだ。結局私は唯一受けた面接先で仕事とビザを得て、結婚もして子どもも生まれた。アメリカ人として育てたはずの息子は日本のアニメや漫画にはまり、「高校を卒業したら日本の学校に進学する」と宣言して実行した。しかし、現実の日本は彼が思い描く夢の国ではないはずだ。それを思い知らされた時、彼は「自分が決めた日本行きだから」と踏みとどまることができるだろうか。『花嫁のアメリカ』を再読した後、そんな想いが私の脳裏をよぎった。
(福田 恵子)
編集部より
本記事は全米日 系人博物館が運営 するウェブサイ ト「ディスカバー ニッケイ( www. discovernikkei. org )」からの転載に なります。