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北米報知120周年記念特別寄稿 〜新聞印刷の変革〜

筆者:佐々木豊
    グラフィックデザイナー

北米報知120周年記念特別寄稿

〜新聞印刷の変革

アナコーテスにある印刷博物館(以前はベルタウンにありました)から、初期の北米報知で使われていたレタープレス(活版印刷機)が返還されたという報を見ました。活版印刷は戦前から60年代まで、英語でも主に使われていた印刷方法です。一字ずつ鉛で作られた「活字」を箱に詰め、組み上がった面にインクを塗り、紙を押し付けて印字するので文字どおりレタープレスです。宮沢賢治の小説「銀河鉄道の 夜」に主人公ジョバンニが活字を組む仕事「文選」をする所が出てきますが、原稿に従って活字を拾い並べていきます。活字は裏返しですし、組んで行く文章も裏返しですから熟練を要する仕事です。
60年頃の北米報知には「解版工募集」の広告が出ています。「解版」は印刷の済んだ活字を活字棚に戻す作業です。編集された記事や広告を紙面としてデザインする作業を「割り付け」と呼びます。文字だけでなく、写真画像挿入の求めに応じ、活版印刷は「オフセット印刷」に急速に替わっていきます。印刷画像部分のみにインクの付く「印刷プレート」からゴムローラー「ブランケット」にインクを移し、この「ブランケット」を印刷紙面に押しつけて写すので「オフセット」と呼ばれます。
「オフセット印刷」では「印刷プレート」用のネガ制作が主作業となります。大きな見出しには「写真植字機」が、本文は日本語の場合「邦文タイプライター」が使われるようになります。頻繁に使われる文字は一番取りやすい位置に配置されていました。本新聞で使われていた一台は横浜の移民博物館に寄贈されています。
誌面に入る写真類は印刷サイズにしてから点描にする「網掛け」という作業が必要です。このため、本新聞にも写真暗室がありました。出来上がったネガは大きな編集用ライトテーブルの上で張り合わせ、「版下」と呼ばれる最終誌面用のネガとして仕上げられます。版下用本文の文字は「邦文タイプライター」からワード・プロセッサー「ワープロ」に取って代わられます。
そして90年代に入り「写真植字機」も「ワープロ」もコンピューターによる DTP「デスク・トップ・パブリッシング」の登場で消え現在に続きますが、アドビ社の前身のアデダス社(ページメーカーで有名)が地元にあったため、シアトルは日本語デジタル印字出版を最初にしています。

〜筆者追記〜

新聞印刷工程を大まかに追ってみましたが、実際は活字の大きさや字数の調整など細かな作業が沢山ありました。これらを日刊時代は、毎日していたのですから大変な御苦労であったと思います。インターネット時代で膨大な量の情報が目まぐるしい速さで入ってきますが、新聞だからこそ出来る強みを活かして次の時代に繋いでいってほしいと願います。

N.A.P. Staff
北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。