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シアトル

文:佐々木 志峰

1930年代のシアトル日本町。日本館劇場では、様々な趣向を凝らした文化プログラムが披露され、コミュニティー関係者を楽しませていた。当時の学生としてシアトルに滞在した故三木武夫元首相は、まねきレストランで皿洗いをし、もしかしたら地元日系人同様、日系の劇場に足を運んだかもしれない。

三木氏はやがて日本へ帰国、悪化する日米両国の関係改善に尽力した。力及ばず戦争となり、当地日系人は強制退去、戦場や日本では多くの命が犠牲となった。戦後30年が過ぎ、米国の建国200年を迎えた1976年、首相となった三木氏は、恩返し、そして新しい日米の友好を願い桜1000本を送った。

この桜はレイクワシントンの湖畔で毎年美しい桃色の花を咲かせている。スワード公園近くには地元日系社会からの記念碑が置かれ、日米友好の象徴として、シアトル桜祭・日本文化祭の原点にもなった。

「このストーリーは、移民、難民を歓迎する大切さが込められている。桜のみならず、イーストサイドのイチゴ畑から日本町のレストラン、ホテルと、日系人の貢献なしに今日の文化豊かなシアトルは成り立ちません」――。以上が、シアトル桜祭・日本文化祭を前にエド・マレー市長からもらったコメントだった。

シアトル市が連邦政府を提訴した3月末。「シアトルは『聖域都市』ではなく、『憲法都市』と呼ぶ」と表明したマイノリティーメディアとの会合の中でのコメント要請で、大方予測できた回答だった。「文化祭」だけに政治色は極力抑えたいのだが、担当者は「市長の家族の関係もあり、日系人へ思い入れは強い」とのことだった。

地元民族祭「フェスタル」の一環として、日系社会が一般社会にヘリテージ紹介する桜祭り。現在の国内情勢から、マイノリティー文化の啓蒙も政治とは無関係にいかないのかもしれない。

さて今年は市長選。再選を目指すマレー市長はスキャンダルに直面。マイク・マギン前市長が前選挙での雪辱を果たすべく17日に再出馬を表明し、候補者は10人に達した。予備選は8月、本選挙は11月。今年四半期が早くも過ぎたが、今年1年の話題は「シアトル」をテーマとすることで間違いなさそうだ。

オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。