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和みティーハウス

インターナショナル・ディストリクト(ID)でコミュニティーの集いの場となってきた和みティーハウスが閉じられたことを知った。

建てられたのは約8年前。建てられた当初は地元日系社会のイベント会場として他施設との競争となる懸念もあった。しばらく経つと日系社会の外からの利用者も多く、階上にあった本紙事務所には賑やかなイベントの様子が伝わってきた。

組み立て式の茶室の存在が施設名称の由来。実際に茶室を使ったのはエド・マレー市長(当時)を招待したお茶会など、ごくわずかだったと記憶している。また、ティーハウスということで、お茶を出すカフェを期待して建物入り口のドアを叩く人もあった。

パブリックス再開発の関係でより大きなスペースへ移動すると、地元アジア系、あるいはマイノリティーのコミュニティーにとって大きな活力を見せる場となった。地元マイノリティーメディアが毎年主催する地元選挙イベントでは、州知事、郡長官、市長立候補者らによるアピールの場となった。IDの治安問題に関する議論では、マイノリティーの立場から大きな不満、怒りが寄せられた。

茶室を背景にした雰囲気が好まれたのか、県人会や詩吟会などの恒例行事にも利用された。本紙が主催、または後援する形でイベントも実施し、恥ずかしながら筆者も壇上の席に身を置くこともあれば、簡単な司会を務めることもあった。

一方でパブリックイベントではあらゆる人が入場できるなど、セキュリティー面では常に問題を抱えたことも事実。不審者が用意された食べ物を求めて入ったり、本紙スタッフを含めて盗難の被害もあった。階上にあった本紙事務所もセキュリティーで不安を抱えていた時期がある。

果たしてすべてが「和み」だったかは疑問として、多様な顔を持ったIDコミュニティー、マイノリティー社会の姿を見せてくれた施設だった。IDで再開発の気配が進んでいるだけに、思い出深い青い瓦屋根も歴史の一部となるだろうか。短い期間だったが、改めて多岐にわたった行事の数々を思い出すと感慨深さがわく。

(佐々木 志峰)

オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。