Home 食・旅・カルチャー 私の東京案内 谷中、千駄木、根津 1

谷中、千駄木、根津 1

公園内にある西欧芸術の殿堂の数々にもかかわらず、上野は浅草とともに、下町の雰囲気をただよわせている。終戦後しばらくはヤミ屋やその他、いかがわしい感じのする人たちの存在が顕著だっし、東京オリンピックの頃までは東北からの出稼ぎ人がいた。庶民にとって親しみの感じられる場所で洗練さとは縁遠い。秋葉原も、ごく最近まではこれに近い雰囲気があった。アメ横のある御徒町駅からすぐだが、秋葉原をを歩くのは後日のことにして、今日は上野公園の北に位置する谷中と根津のあたりをを探訪する。
聞くところによると、谷中は最近、外国人旅行者たちに「発見」されたそうだ。そこにある「澤の屋」という素人旅館は、もっぱら欧米からのリピーターたちの予約で、いつもいっぱいなのだとか。「澤の屋」は地下鉄の根津駅の近く、不忍池通りを南へ5分ほど歩いた、藍染大通りがあかじ坂に変わる地点(谷中2丁目)にある。見つけにくいのが難だが、これまでビジネスホテルがもっぱらだったなかで、それより格安の値段(一泊5千円)で和風の部屋が体験でき、静かな住宅街のなかにある、というのは悪くない。谷中を味わうのにはもってこいの場所だと思うが、家族経営だから部屋はいくつもない。早めの予約が必須で、またトイレは共同というホステル的な要素があることにも留意。
谷中とはどういうところか。まず、やたらと寺がある。北東の角はかなり大きい谷中霊園だし、そもそもこの辺りはみな昔(江戸時代)は寛永寺に属していた。上野公園から歩くのであれば、まず芸大のキャンパスを左に、音大を右に見る地点を過ぎてすぐ公園を出る。そこを北に少し行き、言問い通りを越えたあたりが谷中である。途中、上野桜木と呼ばれる昔も今も静かな住宅地を歩くことになるが、細い通りに「新内、小唄おしえます」という看板がひっそり掛かっていたりする。また、言問い通りに面して「旧吉田屋酒店」がある。先にあげた下町風俗資料館の別館である。
規制があるからだろうか、このあたりには高層の建物はない。大通りを一歩入ると道は狭く曲がりくねっている。いつ歩いてもあたりはごく静か、心休まる思いがすること請け合いだ。谷中霊園は桜で有名なので、その季節には花見客で込みあうが、普段は歴史散歩や寺巡りなどを試みる人がちらほらするだけである。道はずいぶん入り込んでいるから目的を定めずにただ歩くほうが良いかもしれない。地図を見ても迷子になる。東京の街中にはこういった散歩の道はだんだん少なくなっている。谷中も表通りには超モダンなデザインのマンション類が新しく建ち始めたが、寺がたくさんあるので大幅に変わることはないだろう。
谷中を歩くと寺の外壁に沿っていることに気がつくことがあり、江戸時代の「築地塀」が現存する所がある。煉瓦を土でつないで作った、なかなか見ることのできない古く味のある塀だから、一見の価値あり。また、谷中にはさまざまな趣向の小さい店が近頃オープンしているが、みな小ぶりで派手な店頭ではないし宣伝はしていない。今の人の好みに合うアイデアとデザインで勝負しているみたいだ。また、老舗の紙類を扱う店や甘処もあるが、風呂屋を画廊に転身させてやっていたり、西欧人が古木のよさに惹かれて店頭に使ってギャラリー兼スタジオにしたりしている。
(田中 幸子)

編集部より:筆者への連絡先はytanaka03@gmail.comになります。

北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。