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JRレールパス最後の旅行 7日目「飛騨古川・富山県氷見」

JRが海外旅行者むけに売ってきた「乗り放題レールパス」が、2017年の3月をもって、日本国籍の海外在住者には購入できないことになった。このレールパスをこれまで何度も使ってきた私は、3月前のギリギリに最後のレースパス購入をして、4月に一週間旅行をしてきた。東京の自宅を拠点に、京都、森岡、栃木県足利、飛騨を巡った7日間の旅を7週に渡ってレポートしたい。

7日目「飛騨古川・富山県氷見」

1週間の旅の最後の夜は、割烹民宿「氷見の美」で美味しい夕食を楽しみ、素晴らしい滞在になった。最終日の今日は忙しい。新高岡駅へ戻り、そこから糸魚川駅まで新幹線で向かう。それから大糸線に乗り換えてまっすぐ南下して長野県へ入る。
大糸線の車両はほとんど空だったが、子供二人を連れたフランス人夫婦が乗っていた。声をかけると、「まもなく」はどういう意味かと訊かれた。車内のアナウンスがしきりに繰り返している言葉だ。この先の白馬で降り、信濃大町に泊まるそうだ。それから東京へ戻り、翌日はフランスへ帰国とのこと。東京で行ったところを尋ねると、渋谷、新宿、秋葉原、築地と定番観光地だ。昨夜は高山のお祭りを見たが、「素晴らしかった」と言う。行く場所の選択はどうしたのかと問うと、ブログをよく読みこんで判断したという返事が返ってきた。
やがて松本駅に着く。そこから新宿までは中央線の特急「あずさ」が走っている。東京などの住人にはしごく便利にできているが、わたしはまだ大糸線の小さな車両にいる。雪をおいた北アルプスの勇壮な景色を側に、電車はゆっくりと動く。大糸線から途中下車すれば、散策に良い場所や、春の季節なら福寿草が自生する地が途中にある。しかし、残念ながら今回はほとんどの駅を素通り。信濃大町駅でだけ下車して3時間ほどの余裕をとることに決めた。「あずさ」が出るのがその駅からだからだ。
信濃大町に着くと、予想に反して、駅周辺はなんとなく殺伐としていた。駅から遠くない場所に日帰り入浴のできる温泉郷があるというのも、ここで途中下車した理由だが、ちょっと不思議な町だ。520円を出してバスに乗り、その温泉郷まで行くと、ホテル並みの大きな宿屋がいくつかあった。日帰り温泉の入場は700円。露天風呂もあり、温泉に浸かると体が少し楽になった。バスで駅へ戻り、駅で立ち食いそばを食べ、それから「あずさ」の車中へ。後で知ったことだが、大糸線沿線の白馬駅はスキー客が多く立ち寄り、街をあげて外国からの客を歓迎しているという。春の時期なら、駅から遠くない場所を散策するのもいいらしい。白馬駅に立ち寄ってもよかったかもしれないと少し後悔をする。時間に余裕があったならば、信濃大町に一泊して立山アルペンルートの雪の壁を見に行っていみるのも良かったかもしれない。満足とは言えない「最後のレースパス旅行」の最終日だったが、無事に東京の家まで帰宅した。

「最後に」

今回の一週間旅行の記事を書いていてわかったことがある。「まだ行ったことがない」とか「もう一度行きたい」という動機は、いい旅をするのには適していないのではないか。「食べ物にひかれて」というのもどうかと思う。「何かを発見する」とか「思いがけない感動がある」ということに繋がることが少ない。
また、旅の一番の醍醐味は自然の美に接することだとも改めて感じた。都会にはない車窓からの眺めに出会って、そう思った。そのときの天候によって左右されるから、事前に注文をつけるのは無理。だからそのときの「運」に頼るしかない。
これまでの旅を振り返ると、自然風景の中でも富士山を眺める景色は別各だと思う。いつ見ても感動の美しさがある。いつかの旅で、3日間、富士山だけを眺めて過ごしたことがある。それでも、「もう充分」とは思わなかった。吉野の山を覆う何千本もの桜も見飽きない眺めだった。どうしてなのかわからない。それらがアメリカ大陸にあるような大自然ではなく、なぜか人間的だからだろうか。今回の旅でも自然は素晴らしい伴侶であった。
「東京」という大都会に魅了されて一年の何分の一かを東京で過ごし、自分の足で歩き、また東京近郊へも旅行をし、日本の「エッセンス」を掴もうとしてきた。あちこち歩いてきたが、「日本のいちばんいいところ」と訊かれれば「自然」と答えるのではないかと思い始めている。毎年の帰省時には成田空港からJR快速エアポートライナーに乗るが、空港から10分ほどの辺りで車窓に山間の田んぼの風景が広がる。きれぎれな景色ですぐ完全に消えてなくなるのだが、その瞬間に「ああ、日本に帰ってきた」と思う。アメリカの田舎の風景とは全く違うもので、なんとも言えぬ懐かしさが混ざった感動を覚えるのだ。
今回は「最後のJRレールパス」を言い訳に、私は「何かをさがしに」旅をした。あとに続く人のための「旅行案内」となる情報をとも考えていた。しかし、このところへ来て時代は変わった。必要な情報は、ブログなりフェイスブックを駆使すれば簡単に手に入る。辺鄙な地のバスの時間まで探索できる。日本に住むあるタイ人女性が同胞のために作成した「日本観光」のスケジュールをテレビ番組で見たことがあるが、そのプランの素晴らしさに驚いた。費用を抑えるためにマンションの一室を数人で借りるという念の入れ方だし、目指す場所と、することの選択も実によく考えてある。こちらが外国人の彼女から教わる方がいいかもしれない、と思ったほどだった。というわけで、長く書いてきた「私の日本案内」は今号の掲載をもって終わりにしようと思う。
(田中幸子)