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オレゴンからの声 コミュニティー代表者に聞く2

ノースウエストの一角として、ワシントン州に隣接するオレゴン州。ポートランドは当地と並ぶノースウエストの中心都市で、近年は日本からの注目も高まっているという。前回に続き、オレゴン日米協会の黒崎美生会長に話を聞いてみた。(取材は3月に行わました)

黒崎会長が見られてきたコミュニティーを振り返っていただけますか。

ポートランドに移ってきたのは1987年です。日本でバブルが伸びているところでした。90年に入り、落ち着いてコミュニティーを見るようになりましたが、その頃の日本の勢いはやはりすごかったですね。

ここには日本のあらゆる製造業がありました。ハイテクも含め、大きな工場があり、信じられない数の日本企業がありました。地元にも多額を寄付してきましたし、不動産でも大きなビルを買収していました。

バブル崩壊の影響は、数年はなだらかでしたが、90年代半ばすぎから日米協会の会員数も、日本人コミュニティーも一気に落ち込みました。

当時の華やかさが伺えます。

製造関係では米国で作って米国で売るという時代で、日本に近い西海岸では工場が多く建てられました。当時のコミュニティーも信じられないくらい大きかったですね。

オレゴン州の大きな要素に日本経済がありました。企業があり、雇用にも大きな影響がありましたし、木材と穀物は輸出先となっていました。経済、対日関係もあって、地元の米国人も日本人コミュニティーとかかわりたい気持ち大きかったようです。日本企業は今は130社ほどですが、当時は300社以上あったかもしれません。

日本企業はまた増えていると聞きます。

リーマンショック後はひどかったですが、2012年ころから増えており、今は地道な努力で良い状態にあります。ポートランドは日本で人気があるので、そういった面が後押しをしているかもしれません。

進出企業、産業にも変化はありますか。

食品関連の企業が大きいです。ヤマサ醤油がセーラムにあり、味の素の冷凍食品の拠点もあります。森永は社名は出しておりませんが、ここを拠点に米国で豆腐を多く売っています。

本社ではありませんがインテル社の最大の拠点が郊外のヒルスボーにあり、関連会社が多く集まっています。大手企業ではないですが、特殊分野でのハイテク企業が多いですね。

ポートランドはスポーツ用品のメッカで、ナイキ、コロンビアスポーツウェア、アディダス北米本社があります。クリエーティブ広告で世界一とされるワイデン&ケネディー社もポートランドにあり、デザインを含め、クリエーティブな部分を中心とした関連企業も多く見られます。

シアトルとは構造がだいぶ違います。

ポートランドは(LGBT)におおらかな街です。アート、デザイン、食に強い彼らをコミュニティーとしていかんなく取り入れています。ビジネスとしても非常に大きいところだと思います。環境問題への意識も強く、「クリーンシティー」といった概念や、スポーツを含めてライフスタイルを構築するコミュニティーになっていますね。

オレゴン日米協会でユニークなものは。

オレゴン州は日本で企業誘致を盛んにやっていますが、日米協会がリーダーシップを取っています。毎年セミナーを日本で開き、オレゴン州の経済開発局と組んで、大使節団を送っています。オレゴン州に支店を開く可能性のある企業や自治体に日本語でセミナーを開き、かなりインパクトがあるようです。この7年ほどの主流事業になってきています。

オレゴン州には駐在事務所が日本にあり、セミナーの下準備などを進めて力を入れています。

地元の日系社会について。

ポートランドはシアトルに比べコミュニティーの規模は半分ほどで、やはり日系団体の数も少ないと思います。ポートランドの日系人の力は、過去は強かったのですが、この10年ほどでだいぶ弱まっています。リーダーシップを含め、若い世代の関わりも減っているのかもしれません。

日米関係に興味のある白人、我々のような日本人、それから日系人の3つがバランスを取れていると一番良いのですが、現在は日系人の部分が一番弱いかもしれません。

人口比率での日本語学習者はハワイに次いで2番目で、それだけ日本に対する興味ある人を養成していることになります。コミュニティーを見ると、日本に興味のあるのは白人が多いです。ポートランド日本庭園などはそうしたグループからのサポートも大きいです。

ワシントン州日米協会との連携などは。

今まで不思議なくらい、一緒にすることがなかったわけですが、意見交換、新たなビジネス関係者を招待して一緒にイベントをするといったプログラムをお互い組んでいきたいですね。

シアトルとポートランドは、産業構造が近いようで、違うところが多いので、競争というよりも相乗効果が望めるのではないでしょうか。

(記事・写真 佐々木 志峰)

オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。