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インターナショナル・ディストリクトの将来

北米報知6月30日号の「一石」を読んで感じることがある。もはやいえることはジャパンタウンだ、チャイナタウンだといっている時ではないということだ。

私がシアトルに最初に来た1969年、ダウンタウンのパイクプレースマーケットに行ってみた。夕方になると近くの住人が夕食の準備に食料を買いに来ていた。ここが日本人移民一世の原点だとの説明を受けた。周囲のパイクストリートやユニオンストリートは治安が悪く、飲んだくれの人たちやいかがわしいターバンがあった。それが現在ではシアトルを代表する観光地となった。

その中心となるコンセプトは、ローカルのスモールビジネスオーナーが他人に任せるのでなく、本人が毎日出てきてお客と接する、販売するという点だ。商品もローカルの製品、ハンドメイドが多い。ここを一号店に多店舗展開していったスターバックスやシューラタブルはあるが、チェーン店はシアトル市と委員会が監視していて入れないようにしている。

景観を損なうデザインもだめだ。治安もずいぶんよくなった。地域一体は清潔になり、トイレの設備もまだ日本と同じようには行かないが以前に比べるとよくなった。周りにはオフィスやホテル、コンドミニアムが増え、街路灯が明々と燈り、夜になってもダウンタウンの住民が歩いてレストランに出てくる。地元での寄付金募集も何度かあった。

こうしてパイクプレースはシアトルで楽しく、幸せを提供するメルティングポットの地位を作り上げた。無料で一日遊べるディズニーランドのようで別世界を作り上げた。

私は日本人移民にとってもう一つの原点となるインターナショナル・ディストリクト(ID)にどのような将来図があり、それをシアトル市が中心となってひとつ、ひとつ、実行していっているか調べていない。昔、移民で栄えた東洋に最も近いスモールアジアがもう一度、横浜の中華街のように発展するにはどうすればいいのか。

少なくとも言えることは、私が来た1970年の初めは武士ガーデンや日光、みかど、まねきなどの日本レストランが栄えていた。現在は昔のままのたたずまいで夜は暗く、物騒で治安が悪く駐車場も少ない、人通りも少なく特徴ある商店街や清潔で良いサービスのレストランも少ない。このままでは貴重な資金を投入して人生をかけてみようとコミットメントする新一世も出てこない。

一日はパイクプレースで遊び、次の日はIDで一日遊び、歩いて色々な店を見たりエスニック料理を食べる、家族連れや観光客がめがけてくる魅力的で明るく楽しいイメージのディストリクトを作らねばならない。コミュニティーを先導すべき北米報知や地元スーパーマーケットは、そのようなブループリントを持っているのであろうか。

私はこの一年、長年住んだベルビューから車で通勤しパイクプレースの市場の中で働いている。外から見ると、IDのポジションがよくわかる。IDに行かなくてもシアトルの観光には支障がない。中にいると見えなかったことが見えてくる。まずは世界各地で成功しているIDに行って情報収集をし、ビジョンを明確にするのがよいと思う。

(高橋 進)

北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。