By 天海幹子

フランク・S・マツーラと友人たち (マルチプルカメラ撮影)
10月3日、旧日本街の日本館にて、1900年初期にシアトルへ移住した写真家、フランク・松浦栄のドキュメンタリー・フィルムが上映され、100人を超える観客でにぎわった。松浦栄は1873年東京・向島に旧与力(下級武士)松浦安の子として生まれた。父母を早くに亡くし、1886年に父方の叔父・岡見正に引き取られ、長崎県平戸から1901年、27歳でアメリカに渡る。
1907年シアトルからオカノガン郡コンコーナリー(Conconully)に移り活動、写真館を構えた。地域住民の肖像、町の風景、開発の様子、先住民の人々の姿を撮影し、地域の記録を残す貴重な資料として、オカノガン郡歴史協会や博物館展示などに4千点を超えるマツラの写真が残されている。写真を郵便はがきとして作成したことでも知られる。
品性とユーモアを併せ持った松浦は、現地では親しみを込めて「フランク(裏表のない)・マツーラ」と呼ばれていた。松浦は生涯一度も日本に戻ることなく、1913年(大正2年)、39歳で客死した。地元紙は、葬儀が町をあげての最大規模であったことを報じた。
1981年写真集が出版され、1984年にはテレビ朝日で栄を紹介する番組が放映されたが、日本でもシアトルでもあまり知られてはいない。当日の日本館の観客はわずかな日系人とほぼ白人。ベス・ハリントン監督は、「『Our Mr. Matsura』は、これまで大衆文化の中で語られてきたものとは異なる『フロンティア(開拓時代の西部)』の姿を映し出し、地域に溶け込み、人々をつないだ一人の移民芸術家の類まれな足跡を描き出す」ことに力を入れた。
Q&Aのコーナーでは、「なぜ、シアトルから500キロメートルも離れた北西部の田舎町に住んで活動をしたのか」、「写真館を構えるなど、写真を撮り現像するだけでも相当な費用がかかるが、だれが出費したのか」などの質問が上がった。幼い時に父母をなくし養子として育った栄には、田舎町の先住民に親しまれ、穏やかな生活ができたのではないか。写真が物語っているようだ 。
11月には日本でも上映予定。
ユーロライブ:11月12日(木)7PM〜 東京都、渋谷
平戸オランダ商館:11月20日(金)6時半PM〜 長崎県、平戸市
城陽市福祉センター:11月23日(月)1時半 PM〜 京都府、城陽市











