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平成31年

筆者が本紙で紙面制作に携わっていたころ、毎号変わらずに行う作業の一つに紙面最上部にある発行日の日付や号数を変えることがあった。

毎年恒例の新年号では、同じ部分でさらに小さなプラス作業があった。1月1日ということで新たな年を迎え、西暦、平成両方の年数を1つずつ足していった。

特にレイアウト制作を担当した平成20年代の半ば以降の数年は変更作業を自分で行なった。コンピューターの上で数字を変えるたび、年の変わり目、そして平成の年が重ねられていくことを実感したものだった。

あっという間の30年。日本では今年、天皇陛下譲位によって平成が改元される。メディアでも多々取り上げられているが、31年目となった平成はどのように振り返られるのだろうか。

各々さまざまな思いがあるだろう。日本自体が戦争というものを直接経験しなかった平和な30年と言えるかもしれない。外交、内政といった問題とは関係なく、地震災害という天災が頻発した30年だったかもしれない。

筆者の中で最も古く記憶に残る平成の地震災害は、平成5年(1993年)7月に起きた北海道南西沖地震だ。もしかしたら、初めて津波災害というものを映像で見た時だったかもしれない。津波に襲われた奥尻島の惨状を捉えた映像は鮮明に脳裏に焼き付いている。

阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震など。その前も、そのあとも。地震災害は大小毎年のように発生し、多くの命が奪われてきた。そのたびに義援金の募金や被災地支援活動で地元コミュニティーが立ち上がってきた。悲劇をばねに、海を挟んだ遠い両地の距離が近くなっていく様子が実感できた。

先週、シアトルの姉妹都市神戸を襲った阪神淡路大震災から24年を迎えた。本紙在籍当初はシアトルセンター神戸ベルで慰霊祭が毎年のように開かれていた。またあと1カ月半もすれば、東日本大震災から8年となる。

当地においては特段大きな災害もなく、最近における地震といえば、2001年2月に起きたニスカリー地震までさかのぼる。恵まれた生活を送る中で過去からの教訓を忘れずにいたい。

(佐々木 志峰)

オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。