第五、六、七日目
高岡駅へ戻り、それから金沢へ向かう予定。だが、地図を見て白川郷に足をのばすことも可能に思える。車があれば簡単な距離だが、電車やバスの便はなく観光バスのみ。白川郷はユネスコ世界遺産。山の中とはいえ、ひどく観光化しているだろう。築400年という合掌造りの農家には魅力を感じるが、農村が無残にも観光化しているのかと思うと、無理して足をのばす気になれない。
さて、金沢。「行き過ぎた観光化」の例をここで見ることになる。前に一度来ているが30 年ほど前だ。京都に次ぐ古都として内外に知られているのだから、変わっているのは当然かもしれない。しかしこれはひどいというのが、わたしの第一印象だ。まず駅の構内。さまざまな店舗がこれでもかと並び、東京をまねているかのようだし、一歩外へ出ると有名チェーンのホテルが駅をとりまいている。まるでコンクリートの林のようだ。金沢から「しっとり」などという情緒を期待するのは間違いか、と一瞬思う。
予約したホテルは比較的静かな西口から歩いて5分、建ったばかりのようなマンテンホテル。一泊6900円とビジネスホテル並みの料金。だがなんとなく野暮ったい印象を与えるのはどうしたことだろう。北陸一帯に拡大中のチェーンのようだが、「マンテン」とは何のことかわからない。金沢という古都には合わない。古くからある小さな宿屋を選ぶべきだった。
さて、午後から翌日の昼にかけて金沢で何を見るべきか。地図を研究した結果、まず武家屋敷の点在する中町の辺りへ行くことにする。銀座でもあるかのようなショッピング街を一本入ると、それでも落ち着いた雰囲気がある。しかし、そこも若い人と観光客目当ての今風なレストランや店が目白押しに並んでいる。古い街並はその先で、そこまで行くとさすがに古都の感じで家々の造りも奥ゆかしい。新建材の家はそれなりの工夫がしてあるし、入り口や門構えに気が配られている。他人の目を気にする土地柄だろうか、などと勘ぐってみる。
旅ではどこへ行っても川を探す。良い都市には川が欠かせないと思っているからだが、川を眺め、川に沿って歩いてみる。金沢には浅野川と犀川がある。茶屋街も川に近い。そのあたりは金沢観光地のポイントだから、ぞろぞろとツアー客が歩いている。それはいいのだが、なぜか楽しめない。到着時に見た高層ホテルの林立に害された気分の影響だろうか、気がついたら地図や観光案内のパンフレットをゴミ箱に捨てていた。
外国からの観光客に金沢をどう勧めるか考えてみる。ひとり旅の外国人(JR パスを持っている) を何度か見かけたが、金沢はおすすめの都市なのだ。だが、いつかもう一度来たいかと自問したら、答えは否だった。
京都が次の目的地。金沢まで来たのだから寄って行かなくては。そこに住むことがかなわないなら、チャンスがあるならいつでも行こうと常々思っている。
宿を決めようとして10 年ほど前に泊まった宿坊のある寺の鹿王院を思い出した。嵯峨にある。小ぶりの寺だが庭が素晴らしく、それを朝と夕に楽しめる。加えて、そのときは出された朝ごはんに忘れえぬ感激を覚えた。またあそこに泊まろう、と「京都の宿坊」というウェブサイトで検索した。
鹿王院は今も京都への女性の旅行者だけを泊めている。電話すると、希望した日は「相部屋どすが…」ということ。宿泊費は今も朝食つきで4500円(税金はとらない)。そういえば、前回も若い女性と同室だった。歩き疲れて早々に眠り込み朝まで気が付かなかったが。宿坊を営む理由付けか、朝食前に手ほどき程度の座禅体験がある。強制ではない。あのときは別室にいた若い外国人女性も座禅に加わっていた。
京都駅構内は10 年前にくらべて混み具合が進んでいる。だが、鹿王院のある嵯峨(JR山陰本線で約20 分)までくると、そこはもう郊外。清水寺や祇園界隈のようなにぎやかさがないのがありがたい。寺は駅から歩いて15 分、住宅地のなかにある。嵯峨には名所がいくつもあるから観光客はいる。その日が休日ではないためか、目についたのはアジア系の若い観光客だった。
鹿王院は10 年前と変わりなく竹やぶを背にたたずんでいた。見事な鉢植えの菊が置いてある玄関先は静まりかえっている。荷を置く許可を得てから広隆寺へ足を向ける。嵐山電車で約10 分、寺は駅の前にある。モナリザにも通じるあのアルカイック・スマイルをお顔に浮かべた弥勒菩薩がある所だが、その半跏思惟像をもう一度ゆっくり見てみたかった。
「太秦寺」として知られたこの寺はずいぶん古いお寺である。聖徳太子からもらった仏像を本尊として秦氏の一人が建立(603年)、もちろん国宝である。秦氏は大陸から渡来した一族で、聖徳太子の熱列な支持者だったらしい。養蚕機織を職業としたが、朝鮮半島の先進文化を輸入し、農耕や醸造などの産業の発展にも貢献したという。一度焼けた寺を再興したのも秦氏出身者だったとか。菩薩像は「信仰と芸術の美しい調和と民族の貴い融和協調」を語っている、とパンフレットにある。
午後も遅いせいか、周りに人は多くない。長身の西欧人と思われる男性がひとり、じっと像に見入っている。この菩薩様の写真をどこかで見るなり読んだのだろう。そしてこの寺までやって来た。この半跏思惟像にあこがれる人は世界中にいるのだが、こうして実物を目にすることのかなったこの男性は、何を思い、感じているのだろう。その男性の姿を見て、わたしは京都の魅力や魔力を思った。
私も思う存分に菩薩像眺め、堪能した。帰途に着くころには元気が出た。夕食を取る場所を探しながら歩くことにした。1時間近く経ったろうか、気がついたら嵯峨駅近くまで来ていた。駅前の店でてんぷらそばを食べながらテレビを見ていたら、京都観光の番組だった。ある回転寿司の店に客が押し寄せ、その客の8割は外国人だとのこと。次は宇治のお茶畑。茶摘の体験をしてもらい(これも外国人)、そのあとお茶の葉を使う料理を作る。外国人観光客が急増し、京都市は以前に増して「世界の京都」の宣伝力を入れているそうだ。
鹿王院の同室者はひとり旅の若い女性がふたり。寝る前のひととき会話がはずんだ。一人旅だとこういう機会がうれしい。少なくともわたしはそう思う。ひとりは長崎からの看護婦さん、職場を変えるのでその合間の旅だとのこと。「思うところあって禅の勉強を始め、京都の寺を系統的に訪ね歩いている」という40 代の女性がもうひとり。今の職業女性はわたしの年代とは大分違う。その意見や生き方が垣間見られて興味深かった。
鹿王院で一夜過ご翌朝は座禅体験と朝食。嵯峨には見るべき所はいくつもあり、先回は半日をフルに歩いて精力的に見て歩いた。だが今回はのんびりした時間を過ごしたい気分だ。これまでの強行軍の疲れが出ているし、もう若くはないのだし。同室者の勧めを入れ、私ともうひとりの若い女性は仁和寺へ行くことにした。これもそう遠くない。
広大な敷地に建つ仁和寺をぼんやりと見てまわった。裕福な寺らしく金襴の壁、ふすまに瞠目した。古来から皇室と深い関係を持ってきたとのことだが、広さと豪華さの二点以外は印象に残らない。書くことなし、というのは旅行案内としては失格。しかも、早めに京都駅へ戻り、東寺は行こうという計画もやめた。駅からは歩いて15 分ぐらいなのに、東寺はその塔頭を遠くから見るのが良いなどと言い訳をしながら。
昔、20 代の始めに、はじめての京都一人旅行をした。そのとき車窓から見た東寺がまだ脳裏を去らない。横浜から乗った夜行列車が京都に近づくと、朝の空気のなかに高く立っている黒い塔が見えた。それがまだ忘れられない。
駅の構内は、東寺側も昔よりもずっと混雑していた。店の数も増えてずいぶん多い。日本の商店はどうしてあそこまで熱心に声をかけ、買い物客を取り込もうとするのだろうか。いつも思うことだが、他の国ではあまり見られない光景だ。これを外国からの観光客はどう思うだろう。
騒音に疲れながら少し買い物をした。それから、ええいままよと新幹線に乗り込んだ。今回の旅は最後がおそまつだった。旅行を成功させるには、そのときの体調がものをいう。つまり、身体を最善の状態においておくことが肝心だ。良いプランと積極的かつ柔軟な態度は、その次のことである。
(田中 幸子)