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観光立国 日本

「観光立国」を目指すことに決めた日本。安倍晋三首相をトップに推進会合を作って対策を練るのだそうだ。世界一のフランスなどに比べ「まだまだ」だが、今年の11月末までの外国人観光客数は1800万人ほどで過去最大(前年の4割増)となった。

客は近隣のアジア国々からが多く(中国36・3万人、韓国と台湾それぞれ35・9 万、29・6 万)、それは街を歩くとわかる。駅やディスカウント店などでは彼らの言語でのアナウンスが聞かれる。経済発展のおかげでアジアの人びとが豊かになったこと、ビザの必要がなくなったことなどがその理由だが、格安運賃で飛ぶ航空会社が出現して旅行を安価にしていることもその理由だ( ちなみに、成田―台北の往復切符をわたしは1万7800円で購入した)。中国などアジアの国に中産階級が育ち、彼らが旅行を楽しむ時代になったわけだ。

観光およびその周辺産業からの収入が自動車などの製造業の売り上げを上回る事実を前にして、政府は腰をあげたということだろう。「おもてなし」という言葉で、美しき伝統習慣が日本にはあるなどと言っているが、具体的に遠来の客の誘致に何をどうするのだろうか。

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課題はいろいろあるが、なによりホテルの数が足りないという。わたしの見るところ、人々や業界の反応は早い。自宅の一部に客を泊める人があちこちに出てきた。日本の都市には「ゾーニング」棲み分け、つまり商業区域と住宅地域の区別がない。住んでいる場所で商売をするのが普通だから、自宅で宿屋をやることに抵抗はないのかもしれない。

欧米で急増しているAirBnB という、ネットを使って一般家庭へ客を招くシステムは数年前から日本でも広がってる。賃貸収益が思わしくない現状をみて、それなら観光客へ貸そうというマンションやアパート所有者が出てきたし、それをサポートする不動産業者もあるという。これを禁止する法律はまだない。羽田空港を地元にもつ大田区は、制限つきでこの「民泊」を認める条例を出した。

「マンション」という集合住宅が東京住宅の多くを占める事情からすると問題はある。見なれぬ人間が入れ替わり立ち換わりすることへの隣人の苦情(「ごみの出し方」が守られてない、など)、安全の確保など課題は多いそうだ。しかし、わたしが知りたいと思うのは、外国人の観光客は何を目あてに日本へやってくるのか、そして、どのようなエンジョイ方をしているかといった観光の中味のことだ。

日本への来訪者が直面する問題があるとすれば、それは何か。これからの課題は何か、そういうことが気になる。リピートの客も少なくないし「また来たい」と言うも人も多いそうだが、それならばなおのこと、どうしたらより有意義な日本の旅をしてもらえるか、それを考える必要があり、今がその良いチャンスだ。

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それはそうと、日本へやってくる外国人旅行者はどのような準備をしてやって来るのだろう。旅行案内書としては、わたしは『地球の歩き方(日本語)』や『LONLEY PLANET(英語)』をよく使うし、広く読まれてもいる。それらは中国語、ベトナム語、その他に翻訳されているのだろうか。ツイッターやフェイスブックを駆使して体験者から情報を得る。この方法がアジアをはじめ、若い旅行者のあいだで一般だということだが、それらはどんな内容なのだろう。気になるところだ。

以前、日本に住むタイ人女性による実にみごとな観光スケジュールをテレビ番組で見たことがある。同胞観光客のためで、つまり対象者のことをよく知っている。加えて長年にわたる日本での生活経験や情報がある。この2つの条件を満たしているからことできたプランなのだと思う。

日本の現状を全般的に見ると、どの国であれ外国人観光客への情報提供や援助は充分ではないような気がする。機器による翻訳サービスなどによる情報の提供はあるが、これらはすでに来日した旅行者が対象だ。どの程度活用されているのだろうか。「ボランティアガイド」なる案もある。「英語力のある人にトレーニングを受けてもらってガイド役を」というのだが、効果のほどは未知数。海外ではJRや地方自治体が立派なパンフレットを作って配布しているが、ごく限られた努力ではないか。

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日本語と英語だけとしても、わたしにできることは、と考えてみた。いかに旅行を効率的で格安に(そうすればもう一度旅行ができる)するか、実際に自分でやってみて、その情報を提供できる。米国での長い暮らしから、欧米人旅行者の身になってみることもできる。「日本の旅」をテーマに書くためにいろいろな所を歩き、見て、考え、あるいは調べてきた経験、それらをまとめ、役に立ちそうなアイデアや助言を発信できるのではないか。

しかしそれだけでは足りない、と私は考える。日本各地を自分で歩いてきた経験から思うのは、日本という国や社会、そこに生活する人びとのことを遠来の客に知ってもらいたいということ。「観光」だけではない「旅」をしてもらいたいと思うのだ。これから日本へやって来る旅行者のなかには、ツアーではなく自分(たち)だけで、つまり自力で、観光、いや「旅行」をしようとする人は増えるはずだ。

「旅行」とは何を意味し、その目指すところは何なのか。人さまざまだろう。文化遺産の場などへ行き、そこだけにしかなく、価値あるとされるものを見る。あるいは買い物をする。それらも良いが、あくまで「観光」である。かつての経済大国イギリス(だけではないが)の中産知識階級のあいだでは、イタリアなど欧州を「旅」するのがはやった。その記録は残され(ゲーテ)、小説のテーマ(E・M・フォスター)になっている。そういう旅行は人間教育、人格形成の一助と見られた。

増えている日本へ観光客のなかにもそういう旅行者がいるのではないか。そう意識していないにせよ。「海外旅行」とは何か。世界を見て、そこに住む人とその生活、その裏にある社会や歴史について知り思いを馳せること。それがなぜ貴重かといえば、必然的にそれが自分と自分の属する社会について考えることになるからだ。日本にも「旅行」(海外ではなくとも)の伝統は古くからある。旅をするということは自己の発見につながる。旅の毎日は新しい日、新しい自分との会合なのである。

(田中 幸子)