Home コラム 一石 10年を迎えて

10年を迎えて

10年を迎えて

 東日本大震災から10年を迎えた。

 当時を思い返すと、震災発生は発行日の翌日だったと記憶している。出社間もなく、地元テレビ局が取材に来ると報告を受けた。被災地に縁のあるスタッフらがインタビューに応じた。 本紙で震災関連の記事が紙面に載るのは一週間先となる。状況が刻々と変わる中で、どのように紙面を構成するか悩んだ。コミュニティー関係者や州知事らが募金活動に参加する様子など、当地で次々と広がる被災地支援の活動に目を向けた。

 津波で海洋に流出した漂流物が太平洋沿岸に大量に流れつき、環境に影響を及ぼすとの話が広まった。これを受けて総領事館が説明会を行った。原子力発電所の存在や第二次世界大戦時のマンハッタン計画で生まれたハンフォードの土壌除染作業など、ワシントン州における現状にも目を向けた。 断層が走り、津波を伴う大地震の恐れがあることは以前から理解していた。震災を通じて当地のインフラ状況に注目が集まり、自治体も対策に動き出した。当時の交通網が抱える問題に気が付かされたことを覚えている。

 コミュニティーが大きく変わった一年だった。以前から日本で災害が起きれば、各団体が立ち上がり支援活動を行ってきた。被災地支援は過去に勝る規模で、海を挟んだ日米間で、あるいは日系社会の中で新たなネットワークも築かれた。その中で、コミュニティーの一員として、取材者として、そして日々の生活を送る一住民として、その立ち位置に悩まされたこともあった。

 「10年」がたった。今、簡単に振り返ることができるのは、実際に被災していない立場にあるからだとも自覚する。10年前の地震と津波、そしてこの10年で終わりということはない。2月中旬には福島沖を震源とするマグニチュード7・3の地震が起き、宮城県や福島県などで激しい揺れに見舞われた。東日本大震災の余震とみられるとの発表があった。

 今後も大きな災害はどこかにやって来る。この10年を心得としながら、復興を支えたい。

         (佐々木 志峰)

オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。