JRが海外旅行者むけに売ってきた「乗り放題レールパス」が、2017年の3月をもって、日本国籍の海外在住者には購入できないことになった。このレールパスをこれまで何度も使ってきた私は、3月前のギリギリに最後のレースパス購入をして、4月に一週間旅行をしてきた。東京の自宅を拠点に、京都、森岡、栃木県足利、飛騨を巡った7日間の旅を7週に渡ってレポートしたい。
6日目「飛騨古川・富山県氷見」
JRパスを使う旅も残り二日間だ。前日までの栃木市と足利は、急ぎ足だったものの初めての地でそれなりの発見があった。最後の二日間は、高山線と北陸新幹線を使う旅。まず飛騨古川を見て、それから富山駅を経由し、氷見という能登半島のつけ根にある温泉観光地で一泊する予定だ。
氷見へは二年前に行ったばかりだ。そこにある「割烹民宿」を自称する小さな宿『氷見の美』の食事に魅され、再び訪れたいと思っていた。宿の窓から見る富山湾とその先の立山連峰の眺めもいい。しかも宿泊費も安い。一般的な旅館の夕食は、何回か食べると「もういい」となる。だが、氷見のまるでパッとしない「民宿」で出された料理が「割烹」を標榜するだけに一味違う美味しさであれば、「またいきたい」となる。
さて、氷見に行く途中でJR高山線に乗り飛騨古川へ行ってみようと決めていた。古川という昔の宿場町が前から気になっていた。高山の一つ手前で下車する。高山はだいぶ前からかなり観光地化しているのは知っていたが、古川はそうではないだろうと思っていたのだ。それに、JR高山線の沿線には、両側に山が迫り、その間に急流がある。その姿が実にすばらしく、それをもう一度見たいと思った。事実、車窓の風景は十数年前と変わらぬ姿で、充分目を楽しませてくれた。
まず名古屋まで新幹線で行く。高山線は名古屋まで延びているから便利だ。下車して数分後には高山線に乗り換え、まっすぐ北上する。沿線に下呂という古い温泉郷がある。外国人観光客のあいだで人気のある高山がある故の便利さだろう。ここにもJRの観光事業への熱が感じられる。しかし、今日の天気は雨模様。車窓から望む山々を、もやだろうか、水蒸気の薄いかたまりが雲のようになびいたり、動いたりしている。見事な南画を見るようで、これを見ることができたのは幸運としか言いようがない。車窓の風景から目を離せないまま一時間ほど至福の時を過ごし、高山からすぐの飛騨古川駅に降りる。
高山へは過去に3回来ているが、最後の2回はその観光化のありさまに失望した覚えがある。同じように宿場町でも古川ならいいのではないか、と思っての選択だったが調査不足を思い知らされた。街並みは最近きれいに作り直されたように見えた。聞くところによると、昨年評判になったアニメ映画『君の名は。』の撮影現場があり、若い人たちの間で人気上昇中なのだとか。街を歩くと外国人観光客がちらほら目につくが。
高山は昨日からお祭りで、大方の客はみなそちらに行っている。天候のせいもあって、古川は駅周辺も街の中心部も、ごく静かだった。古い衣装の一部を新しくしたような古川の街を30分ほど歩いただけで、再び高山線に乗る。駅のホームで外国人グループを見かけたので声をかけた。ニューヨークからの観光客だった。高山の祭りに来たのだが、宿がどこもいっぱい、それで古川に来て泊まったのだという。祭りは日本観光の一役を担っているが、夏場に行われるものばかりだと思っていた私は勉強不足だ。高山線終着駅の富山へ旅を続けた。富山駅で一緒に降りた外国人観光客が何人かいたが、そこから金沢へ行くらしい。「兼六園」が目的地だという。私は新幹線で新高岡駅へ、そして在来線で3分のJR高岡駅まで行き、氷見線に乗り換える。
氷見は最近まで漁村だった。このローカル線も今後いつまで走るか心もとない。廃止の意見が一時は出ていたらしいが、JRがなんとか頑張っている。20分ほど乗ると終点の氷見駅。富山湾の海沿いを走るのだが、途中には源義経が雨の止むのを待ったとされる雨晴海岸がある。高岡駅から電話をしてあったので、宿のおかみさんが車で出迎えてくれた。氷見線の乗客の大半が高校生だったことから、人々の足はもっぱら自家用車だ。女将さんは、「市長が財政難なのにイタリアガラスを買って、駅の外に新しいトイレを作った」とぼやいていた。氷見には温泉宿もいくつかあるが、観光誘致は今一つというところか。
割烹民宿『氷見の美』は立山湾に沿って走る国道沿いにあり、海に突き出て建っていてる。湾の向こうには立山連峰が望める。この湾は「天然の生け簀」なのだそうだ。たしかに、ほとんど波がなくてまるで池のようだ。この国道を北に上ったところには有名な和倉温泉がある。「『氷見の美』の建つ場所はパワースポットだ」と宿の主人が前に来たときに言っていた。太陽は「氷見の美」のすぐ目の前の海の向こうに上がる。二車線の国道を挟んで一方は海、もう一方は狭いながら原生林のある山地という場所である。
原生林にある木で私にわかるのは藪椿だけで、それが数本空にむかって高く伸びている。木々の向こうには神社があるらしい。少し先の国道が急カーブするあたりに古い浄土宗のお寺がある。立派な門がまえの寺だ。ここも裏には山がせまっている。鶯がいい声で鳴いてくれたが、ながく続いたそのあまりの美声にもう一度と望んで、佇み続けだ。しかし再度の美声は聞けなかった。
(田中幸子)