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私の東京案内 四谷から新宿へ 8

「大久保」

 新宿について、一つの悩み事がある。それは、区の北端にある大久保の「コリアタウン」周辺にあった(今もときにある)人種差別がらみの問題だ。JR大久保駅と新大久保駅を結んでいる大久保通りの、歩けばせいぜい15分ぐらいの距離とその周辺がコリアタウンだ。そこは在日韓国人が多く住む地域で、韓国レストランや食材その他を扱う店がたくさんある。以前(今もときに)、いわゆる「ヘイトスピーチ」がこのあたりに氾濫した。
 数年以上も前のことだが、「韓流ブーム」が日本に到来。韓国の映画や音楽、またテレビドラマが人気になり、日本中を席巻した。そのためなのか、それともそれなのにと言うべきか、ここコリアタウンでは極端なナショナリスト(日本人)たちによる在日の北朝鮮と韓国人を対象とする排斥デモがあった。彼らは声高にデモを行い警官の出動騒ぎとなることもあった。今も一時ほどではないにせよあるらしい。
 この大久保近辺や近くの百人町に韓国や中国人が住みつき働き始めたのは、ずいぶん以前、戦後すぐだった。その傾向は日本経済の高度成長期になって加速したのだが、現在でもインド、タイ、ミャンマー人、またイスラム系の人間も少なくないという。このコリアンタウンでは、歩いている人も、流れる音楽も、おそらく食べ物の味も本場に近い、つまり日本にいながら韓国が味わえるわけだ。この地区はまた、すぐ北に早稲田大学など学園地域を控えていて、中国人相手の予備校や日本語学校などがいくつもある。昔から宿屋の多い場所で、日本風宿屋もある。
 昨年、韓国商人連合がコリアタウンとその周辺に無料の巡回バスを走らせるこを始めた。客の誘致をはかって、韓流ブームの頃の賑わいを取り戻そうという企画だそうだ。時間があったら乗ってみるといい。日本にいながら韓国の雰囲気が味わえること請け合いだ。新宿駅や都庁前などのいくつかある場所から乗ると、職安通り、明治通り、大久保通り、お滝橋通りを四角に囲む地域を、つまりコリアタウンを1時間で運行する。

「神楽坂」

都市改造を繰り返してきた東京のなかで、そこを歩くと昔の雰囲気が感じられる街は独特な場所だ。前号で紹介した荒木町もそうだが、神楽坂もそんな独特な場所の一つだ。神楽坂は、江戸時代末期にはすでに市街地化していた。中心に今もある毘沙門天が、その頃の娯楽街の中心であった。明治大正の頃は「山の手の繁華街」として賑わい、茶屋や料理屋なども多かったし、なにより関東大震災で被災しなかった。その後も、近くに軍事施設があった関係で発展し、一時は銀座に次ぐ大きさの商店街であったとか。神楽坂は昼間よりも夜ににぎわう街で、カフェや映画館があり、まわりには学生も多かった。
神楽坂にも坂がいくつもあり、そこは曲がっりくねって複雑な地形である。散歩が楽しい所以だが、ただここはごく最近すこし変わってきている。5、6年前までは、細い石畳の横丁を曲がると三味線の音が聞こえたし、高級料亭の塀や玄関のしっとりした佇まいが目を楽しませていた。が、今はすこし違う。新趣向の食べもの屋が、古い家の跡に建ちはじめている。メインストリートの神楽坂通りは、デートの若い男女や友達同士の中年女性たちがよく見られるし、そういう客を目当てにするチェーン店もいくつかできている。おまけに、今風な店舗の入るビルさえ建っている。残念なことに、神楽坂も東京の他の繁華街とたいして変わらない街になるのは時間の問題かもしれない。
そう思いながら坂を下り、JRの線路をまたぐ牛込橋を渡って飯田橋駅の脇を北へと歩いた。高架の下を流れる神田川につきあたるのだが、周囲は真新しいオフィスビル群、歩いている人は見当たらない。人が住んでいる気配もない。このように東京は隅ずみまで新しくなり、どこも再開発されチェーン店とオフィスビルだけになってきている。そのあいだに申し訳のように集合住宅である「マンション」が建っている。都心にある散策にいい場所はだんだん少なくなっている。