1950年から60年代にインターナショナル・ディストリクトやパイオニアスクエアで活動した日系写真家エルマー・オガワ氏を綴った『エルマー・オガワ:シアトルの忘れられた写真家とのアフター・アワーズ』が電子書籍で発刊された。当地でもほとんど知られていなかった日系人の驚くべき人生と、地元歴史の無数の断片が語られたユニークな伝記だ。
著者のトッド・マシューさんは、故オガワ氏の写真や手紙、また女優で歌手のスズキ・パットさんら友人、家族へのインタビューや、ワシントン大学貯蔵の写真を通じ、さまざまな逸話の背景を明かしている。マシューさんに話を聞いてみた。
どのようにオガワ氏の仕事に関わるようになったのですか
「私は約20年間、シアトルでジャーナリストをしてきました。多くの新聞や雑誌にフリーランスで記事を書くことから出発しました。過去10年はタコマの小さな新聞社で編集者、リポーター、また写真家としてフルタイムで働いてきました。そして数年前にシアトルの古いギャンブルクラブについて本を書くためにワシントン大学で調べ物をしていた時、エルマー・オガワ氏の写真を見つけました」
オガワ氏の写真について教えてください。
オガワ氏はよく、日系新聞のパシフィック・シチズン紙や雑誌シーンマガジンの社会面のために、日系人や地元芸術家、フェスティバルなどの撮影をしていました。また自分の写真も撮っていました。彼は『仕事中のオガワ』シリーズで、撮影準備をし、写真を現像する彼自身の写真など、面白い写真を撮っていました。
疑いもなく、私のお気に入りの写真は地元のバーでの写真です。いくつか例を挙げると、ティムズ・タバーン、バンブー・イン、クロンダイク・カフェやバーニーズ・カフェなどです。
オガワ氏は社交場での労働者たちのエネルギーを見事に撮影しています。仕事終わりにマウントレーニエビールを共に飲み、ビリヤードをし、またボックス席で和気あいあいと楽しむ人々の友情を多くの写真に収めました。バーテンダーらスタッフのポートレイトも好きです。写真での姿はリラックスし、無防備に見えます。オガワ氏の人間性、存在がうかがい知れます。
実際に彼は常連客の一員でした。仕事の後、バーに立ち寄り、友人と落ち合い、写真を撮っていたのだと思います」
なぜオガワ氏の写真をシェアすることが重要なのでしょうか。
「1970年に死去するまで、彼は1950年代初期から1960年代終わりにかけてのシアトルの歴史を伝える何千もの写真を残しました。バーや酒場のみならず、地元の文化行事や日系市民協会など地元団体の活動も追っていました。
オガワ氏の写真はワシントン大学に保管されていますが、彼はシアトルの歴史家たちが見落としてきた写真家だと思っています。彼の仕事が注目されるために伝記執筆を始めました。
彼の写真を長く研究した後、私は彼がどんな人物だったのかもっと知りたくなりました。幸運なことに、彼の同僚や友人、遠い親戚に知り合うことができ、彼らが手掛かりをくれました。彼はいたずら好きで、機転の効いたユーモアのある人物だったようです。
執筆の中では、引退したブロードウェイパフォーマーのパット・スズキ氏とのインタビューがもっとも気に入っています。80歳を過ぎてニューヨークに住んでいますが、オガワ氏は、彼女がまだキャリアを始めたばかりの1950年代に、シアトルダウンタウンで彼女を写真に収めています。『とてもハンサムで性格も覚えています』と彼女は語っています。『彼のちょっと皮肉なユーモアが好きで、とても付き合いやすい人でした』」
もしオガワ氏に聞いてみたい質問はありますか。
「なぜ彼が写真にそこまで関心を持ったのか知りたいです。彼の写真に加えて、ワシントン大学では全ての手紙も保管されています。友人、家族、編集者宛など、全ての手紙読むことができたのですが、純粋に芸術家や有名な写真家になりたいという希望を感じ取ることはできませんでした。
オガワ氏にとって写真はあまりお金になりませんでした。彼はいつも『日雇い』の労働をしていました。写真を撮る仕事がない時、彼はパイプ直しやボイラー作りをしていました。そのような中で、なぜ彼が写真に没頭していたのか知りたいです」
同書籍に関する詳細はhttp://www.wahmee.com/elmer.html まで。
(英文記事 = マイヤ・ゲスリング、日本語編集 = 遠藤 美波、写真提供 = University of Washington Elmer Ogawa Special Collection)