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不惑と知名のはざまで 前編〜地球からの贈りもの〜宝石物語〜

不惑ふわく と知名ちめい のはざまで  前編

By 金子倫子


半世紀。筆者は今年で五十路を迎える。

個人的には物事の考えなどに迷いがなくなるとされる「不惑」の40よりも、己の宿命を知るという意味で「知命」の50の方がしっくり来ている。社会的にも、自分自身の今までの人生を振り返り、ようやく自分の立ち位置というのが見えてきた。不惑には程遠いとは言え、あまり周囲に振り回されずに自分が確立してきた40代。確立してきた中身とは裏腹に、外見的には30、40を迎えた時とは遥かに違う段階に直面している。

多くの女性が直面する更年期、閉経も大きく関係しているだろう。個人差はあるにしても、内面だけでなく外見的にも白髪、老眼、皺、そしてたるみ。今まで身に着けていた物にも、なんとなく違和感が出てしまうことが増えた。

その違和感は精神的なものか、物理的なものか。そんなことは「我関せず」と我が道を行く勇者も多数いるが、なかなかどうして。

実は約2年前、29年ぶりにピアスの穴をひとつ追加した。若者世代だけでなく、中年世代も左右非対称や、複数のピアスを開けるトレンドに乗っかってしまった。1.2カラットのラディアントカットの指輪をピアスにリフォームし、定番のダイヤモンドのフープとのコラボを想像。ちょっとだけファンキーだが大人の高級感も醸し出しているかも、とウキウキしていたのも束の間。びっくりするほどに収まりが悪かったのだ。雑誌や周囲を見ると、もっとガチャガチャとまとまりのない着け方をしている人も多い。他人から見たら十分シンプルに見えたかもしれないが、自分自身が落ち着かなかったのだ。

追い打ちをかけたのは、今まで全く気にしていなかった耳たぶの老化に気づいてしまったこと。筆者はほぼ毎日髪を束ねているので耳が丸出し。耳も皮膚の一部で、日焼け止めが必要だとこの時初めて思い知った。

気合を入れて新たにピアスを開けてから数年。結局私の耳を飾っているのは、左右で合計1カラットのプリンセスカットのダイヤモンドが並ぶフープピアスで、約10年前に購入したもの。360度どこから見ても美しいフォルムのこのフープが、20代の頃より自分の永遠の定番となった。ただなぜかハワイ旅行で失くすこと2回。失くすごとにアップグレードし、今で3代目という訳だ。ピアスに関しては、これ以降新たには購入しておらず、失くさない限り今後新たに購入する気もない。

29年ぶりに開けたピアスの穴は、結局塞がってしまった。もう一度開けようか、それとも諦めてイヤーカフにでも挑戦しようか、まだまだ思案中の迷える五十路なのだ。

耳たぶの老化もショックだったが、さらに上をいくのが首だ。横断するように2本のクッキリとした皺と、喉仏辺りのちりめん皺は直視するのが辛いほど。

筆者は首が太く、一般的な40~42センチの長さのチェーンでは苦しそうに見えるので、ネックレスの類は身に着けない。最後に身に着けたのは20代前半だっただろうか。外見的な面もさることながら、首肩周りの違和感も拭い切れなかったことがネックレスを疎遠にしいていた。

しかし、最近の首の皺増加で風向きが変わった。年を重ねた方がジュエリーや光物が似合ってくる理由が身に染みて分かってきた。皺を隠すのに1年中タートルネックやスカーフを巻くという訳にもいかず。それならば、インパクトのあるネックレスで視線を集め、皺を死角に追い込む作戦はどうだろう。首の太さは相変わらずなので、皺に埋もれない程の長さのしっかりとしたチェーンが必須。首元にV字を作ってスッキリ見せ、ドラえもんの鈴状態は何としても避けねばならない。チェーンのV字の先に付くモチーフも、シンプルだがある程度のボリュームがあり、視線を集めるキラキラが要求される。キリスト教徒でない私がクロスモチーフを着けるのは冒涜のようで手が出ない。

結論が出ないまま字数を超えてしまいそうなので、次回へ持ち越しとしよう。手元の悩みについても交え、不惑と知命のはざまの続きを。

80年代のアメリカに憧れを抱き、18歳で渡米。読んだエッセイに感銘を受け、宝石鑑定士の資格を取得。訳あって帰国し、現在は宝石(鉱物)の知識を生かし半導体や燃料電池などの翻訳・通訳を生業としている。