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戦後処理

1月26日に始まった天皇皇后両陛下のフィリピン訪問を「東京新聞」は特別記事として連日載せている。国交正常化から60年という節目の年にあたっての友好親善が目的とはいえ、天皇陛下のお心にあるのは先の大戦の犠牲者への「慰霊」であるようだ。

フィリピンは太平洋戦争の末期における激戦地だった。1945年2月には、日本占領下のマニラでは米軍との激しい戦闘があり、市街は瓦礫と化し10万人もの市民が死んだ(日本軍と米軍の戦死者はそれぞれ約1 万6 千人と1010人)。

天皇陛下は昨年4月にもパラオへ行かれた。「戦いにあまたの人の失せしとう島緑にて海に横たふ」はその折のお歌だが、その島も激戦地だった。今も海には不発弾が残っているというから、「戦後処理」は終わっていないといえる。天皇陛下は、「先の戦争のことを十分に知り考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切」という言葉で先年の誕生日に述べられている。今回の訪問でも同じ気持ちをあらわされたのだが、高齢の陛下はとくに今、日本の加害の歴史と向き合おうとしているよう見受けられる。だからだろう、「生まれながらにして重荷を背負ってこなければならなかった」天皇へ「畏敬の念」をアキノ大統領は表明したわけだ。

あの戦争で家族を失った生存者、日本人ふたりとフィリピン人ひとりへのインタビューを「東京新聞」は載せているが、戦争がどのような爪あとを残し、生存者がどのように生きてきたかを伝えている。日本人の一人はレイテ島で自決した父(少佐)を持つ男性。父の最後はともかく、多くの兵士の死が手がかりがないままなっている。これを知った男性は調査を決心、50年にわたって続けてきた。父は指揮官として「生きていたら同じことをやったはず」との思いが、その発端。戦死者をただの数字ではなく人間としてよみがえらせよう、との思いがあるからだ。それは過去の戦争の罪について考えることになるだろう。

別の日本人はレイテ戦を戦った一人。日米30万人が激突したこの戦いでは日本兵の餓死が続き、8万4000人のうち8万人が死んだ(神風特攻隊が初めて出撃したのもこのとき)。食べものを盗んで住民に殴り殺された兵士もいたが、この人は山中を歩き続けて生還した。それから何年も死んだ戦友たちに「うしろめたさ」を感じて生きてきたという。レイテ島やセブ島への慰霊の旅をはじめ、それを続けて25回。誰にも看取られずに死んだ人が「私をレイテへ駆り立てている」と語るこの男性は、遺骨を収集し線香をあげてきた。ひとりで行くこともあるという。

今回両陛下を迎えたフィリピン遺族はどんな思いだろう。「東京新聞」が伝えるのは、「憎しみを超えて天皇陛下の訪問を歓迎する」とする一男性。この人(現在90歳)は家族全員をマニラ市街戦で失った。兄とその婚約者は憲兵隊員に刀で切り殺され、妹も乱暴されたうえで殺された。抗日を決意、18歳でゲリラに加わった。それを誰が咎められるだろう。しかしこの男性は、長い歳月を経た今、「時が癒してくれた」と感じ、日本の天皇の訪問を「歓迎」する、と言ったとか。

天皇陛下の心も、多くの日本人の思いも「あの戦争を忘れまい」というものだが、それに異を唱える人はいないだろう。レイテ島に繰り返し赴く高齢の日本人男性ふたりは、そこで人に会うたびに、謝罪の気持ちを告げているのだろう。天皇陛下は残りの年月をかけて犠牲者への慰霊をするご決心のようだ。「忘れません、忘れてはならない」は、今の日本人が機会あるごとに繰りかえす言葉である。

だが今は戦争の記憶のない年齢がほとんどだ。一般の日本人は何をすべきなのか。過去を忘れないと誓い平和を望む。だから、集団的自衛権(戦争を辞さないとする)の容認や安全保障法制(必要あれば戦争する米国に協力する)には反対で、あらゆる戦争を禁じている現憲法はどうしても守られなければならないというわけだが、はたしてそれだけでよいのか。抗議運動に加わるだけでいいのか。

例えば韓国の慰安婦問題は解決を見ていない。今日(1月28日)の新聞によれば、彼女たち(すでに超高齢)は一カ月前に両政府が合意した「これ以上問題にしない」に異を唱え、反対行動を起こしている。激戦地となったマニラなどの国土の荒廃がフィリピンの米国への依存(軍事経済的)を生んだ、とする研究者もいる。つまり、太平洋戦争は70年たった今も完全に終わったわけではないのだ。では今の日本人は何をすればいいのか。そう考えるときに気付くのが天皇陛下の決意と努力だ。だがそれをいいことに、日本人は責任を負うことを天皇陛下にまかせている、あるいは甘えているのではないか。

過去の戦争責任については謝罪を何度もした、まだ不十分なのかと、不満を述べる人は少なくない。それについては、ここに挙げたフィリピン人男性の言葉が示唆を与えてくれた。長年かかって許しの境地に達したのは偶然に会った元日本兵による謝罪、「悪いことをした」との言葉だったという。真にそう思った者の言葉だったからだろう。しかしそのフィリピン人は、日本人は歴史をきちんと後世に伝えていないとも言っている。

「これ以上問題にしない」という合意が日韓の政府の間でかわされた。だから在ソウル日本大使館の前に置かれた慰安婦像を取り除けと日本政府は言う。これでは歴史を後世に伝えてないと思われてもしかたがない。戦時の慰安婦についての事実関係は充分に検証されていないし、されることもないのかもしれない。だが、あの像が韓国の併合統治、また戦争に巻き込んだ非道を思い出させるなら、日本人が口をそろえて言う「けして忘れてはならない」の一助になるのではないか。

ここにあげたフィリピン人被害者をはじめ、戦争責任の感じ方についての日本とドイツの違いは、いろいろな人が言及している。ドイツならどうするだろう。ドイツ人は過去を充分に反省している、とは何をもって言えるのだろう。わたしにもわからないが、答えを見つける努力を日本人はしなければならないのではないか。天皇陛下はそれをなさっているように見受けられる。

追記:1月28日の「投書欄」には28歳の男性の意見、「慰安婦像撤去、歴史否定する」を見つけた。「日本政府には歴史との向き合い方を……今一度考えなおしてほしい」とある。天皇皇后両陛下は、ここに記した以外にも、1 9 9 4 年に硫黄島、2005年にサイパンへ慰霊の旅をなさっている。

(田中 幸子)

北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。