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100年前の年賀広告

筆者:室橋美佐

『北米時事』オンライン・アーカイブで読むことができる最古の記事は、1917年12月14日号。その頃の新年号として、1918年、1919年、そして1920年正月の号を読むことができる。第一次世界大戦直後の1919年と1920年の新年号は40ページ以上に渡り、多くの多彩な年賀広告がシアトル日系コミュニティーの繁栄ぶりを物語っている。1920年年賀広告の一部を紹介する。

1896年にシアトル航路を開いた日本郵船は、1911年にシアトル出張所を開設。毎年の新年号に1ページの大きな広告を掲載している


1892年に雑貨食料品店として開業し、一大商社になった古屋商店。1907年から同社が乗り出した銀行部門の日本商業銀行と米国東洋銀行も併せての新年挨拶になっている


当時の日本経済を牽引した企業や銀行の広告。三井物産は1916年、横浜正金銀行は1917年、三菱商事は1919年にシアトルに出張所・出張員を置くようになり、住友銀行は1918年に現地法人を設立した


ビジネスや個人名義の年賀広告で敷き詰められたページが数ページに渡り、ポートランドやバンクーバーB.Cからの広告を集めた欄もある。ホテル、雑貨店、靴屋、電気屋、花屋、法律事務所、病院、歯科医など、多くの日系ビジネスがあったことが垣間見られる。商業組合からの広告も多い。平出倉之助の平出商店からの広告も

北米報知社ゼネラル・マネジャー兼北米報知編集長。上智大学経済学部卒業後、ハイテク関連企業の国際マーケティング職を経て2005年からシアトル在住。2016年にワシントン大学都市計画修士を取得し、2017年から現職。シアトルの都市問題や日系・アジア系アメリカ人コミュニティーの話題を中心に執筆。