今週の英語面から、先日訪問したオレゴン取材記事の連載を始めている。今号でなるべく多く記事を書く予定だったが、個人的な日程の都合もあり、導入部分のみという形にさせてもらった。早朝に当地発、太平洋沿岸沿いを下り、オレゴンに入る行程だったが、短い限られた中で、できるだけ多くの日本、日系関連の史跡へ足を運び、日本、オレゴン、ワシントンの縁を探るように心がけてみた。
ピュージェット湾全般に広がる日本とのつながりや日系史を紡ぐ史跡は数多いが、今回の取材で分かったように太平洋岸からオレゴンにかけても負けていないことが分かった。
詳しくは英語紙面に書いてあるが、まず東日本大震災、原発問題、あるいは当地で将来発生の可能性がある大地震に関連し、サットソップの原発予定地跡、またオーシャンショア北を流れるコパリス川の「死んだ森」の存在がある。この森は、1700年に発生したカスカディア大地震の津波の影響で枯れた木々が立ち尽くす。本紙英語コラムニストのデビッド・ヤマグチさんらが日本の文献を研究し、同地震と津波の関連性を解明した「みなしご元禄津波」が詳しい。
今回、コースト沿いを走る目的の1つに、州沿岸南部のウィラパ湾で広がっていた日系牡蠣養殖ビジネスの関係地を訪れることがあった。
ビジネス関係者の1 人に昨年死去したが、同地で長年にわたりニューワシントン牡蠣会社を運営してきた故ジロー・ナカガワさんがいる。今回許可を受けて、その跡地へ足を運んだが、大量に積まれた牡蠣の殻、歴史にあふれた建物と、ナカガワさんが現役で活躍していた頃の様子がまだ伝わるほど強い印象を受けた。ナカガワさんのインタビューはデンショーに記録されているが、本紙でも機会があれば記事に扱いたいと考えている。
今回の同所訪問を含め、協力を仰いだ造園師のスコット・ムラセさんは現在、スワード公園の鳥居再建計画に関わっている。また長年にわたり、この牡蠣養殖場にナカガワさんを讃える記念碑を設置する計画にも携わっている。
近年当地で活躍を見せるムラセさんの父ロバートさんは同様に著名造園師。ポートランドの日系歴史広場の建設を手掛けたことで知られる。(続く)
(佐々木 志峰)