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父の日によせて

母方の祖父は農家 の婿養子にきて、3人の子供に恵まれ、妻に先立たれた。昔のこととて、早速、後添えが世話され再婚し、また3人の子供に恵まれた。

もう中年になっていたが、残念なことにこの後妻にも先立たれ、仲人はまた候補者を物色した。
すると、嫁に行って7年たっても子供ができず、実家に帰された「出戻り」がいるというので、「ちょうどよかんべー」ということで、50 歳を過ぎてから3人目の妻を迎えた。ところがである、この新しい妻に また3人子供ができて通算9番目の子、 お父っつあんが 60 歳 の時に生まれた末っ子というのが私の母である。それ故に自分より年上の甥や姪がたくさんいた。母が生まれる頃は両親は引退して「隠居所」に住み、母屋は長男夫婦の代になっていた。

祖父は天保生まれの人にしては珍しく、よく読み書きをしていたという。その頃の田舎の子供の日課は石油ランプの「ほや」の黒い煤の掃除だった。それにしても、明治の日本の農村で出戻りになった祖母は、さぞかし肩身の狭い思いをして実家に身を寄せていたことか。そ して、思いがけず二男一女の母となることができて、どんなに嬉しかったことだろう。

しかし末っ子が 12 歳のとき、そのおっ母さんは腹膜炎で亡くなってしまった。72 歳のお父っつあんはまたもや妻を亡くし、それでも末っ子が 20 歳になるまで長生きして、 80 歳で天寿を全うしたとい う。

(エニス千鶴子)

北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。