Home 食・旅・カルチャー 地球からの贈りもの~宝石物語~ 思い出のジュエリー

思い出のジュエリー

「ダイヤモンドイズフォエバー」というのはデビアス社のキャッチフレーズ。ダイヤモンドのみならず、持ち主が亡くなった後も思い出を閉じ込めて静かに輝くのはジュエリー全体に言えること。時を超えた愛を感じたブルガリジュエリーの続きを。

よく「思い出の品」とか「○○の形見」という事を耳にするが、今までピンときたことがない。母のダイヤの指輪はプラチナで、私はイエローゴールドしか身に着けないので、い
つかそういう日が来ても、私を飛ばして長女に譲ることになるだろうと思う。もちろんリフォームという手もあるが、色の最高ランクであるDカラーのダイヤはプラチナの枠が相応しい。やはり手を付けずに、そのまま娘の一人に譲られるだろう。

私自身はというと、末娘はよく私の指輪を撫でる。その度にわたしは「これは大きくなったらあなたの物だからね」と言うのだ。いつか私が遺すとき、末娘はこの指輪に私との思い出を見るのかもしれない。特に意図したわけではないのだが、妊娠ごとに別のダイヤモンドの指輪を着けていたので、それぞれの指輪がそれぞれの娘たちに引き継がれる。

私の肉体がなくなっても、私の存在を閉じ込めるもの。そんな風に考えるとジュエリーは更にかけがえのないものに思えるし、自分らしい物を吟味して選ぼうと再確認する。

昨年末に開催されていたブルガリ展では、物にも思いが残るのだと実感した品がいくつもあったのだが、その最たるものがエリザベス・テイラーがリチャード・バートンから婚約のプレゼントとして贈られたエメラルドとダイヤモンドのブローチだ。

エリザベスの遺品のオークションでは、落札額が4番目である約660万㌦を叩き出した。中央のエメラルドは23・44カラット。エメラルドの上下には各10カラットのペアーシェイプのダイヤモンド。他に計10個の、メインの2つより小さめのペアシェイプのダイヤがエメラルドの側面を囲む。

婚約のプレゼントが指輪ではなかったのも、とても興味深い。このブローチはペンダントヘッドとしても使えるようになっていて、揃いのネックレスもある。このネックレスの部分だけでも、落札額5番目の約610万㌦。ラウンドとペアシェイプのダイヤモンドにこれでもかと囲まれた、16粒で計60カラットのエメラルド。中央に向かってエメラルドもダイヤモンドお大きくなっていく。

ペンダントとペンダントヘッドの両方で約1300万㌦。「ワオ」という言葉以外に思い浮かばない。

この一品は展示のフィナーレとして特別なディスプレイだった。1964年3月15日、モントリオールのリッツカールトンで式を挙げた二人。エリザベスはリチャードにもたれ掛かり、見つめ合う二人の大きな写真のパネル。エリザベスがその幸せの瞬間に身に着けていたゴールデン・イエローのシフォンのウェディングドレスも飾られていた。もう50年以上前の出来事なのに、その時のエリザベスとリチャードの愛が時を経てその空間を満たしているような気がした。その場に居るだけで、その幸せな空気感に自然に笑みが浮かび、同時に心が震えるようだった。

テイラー・バートンと名付けられたペアシェイプの約70カラットのダイヤモンドは、リチャードとの破局後手放した。自分たちの名前が付いたダイヤモンドにも関わらず、生涯を共にすることはなかった。それに比べ、元オーナーであるクルップ夫人の名前の付いた33カラットのクルップダイヤモンドと、婚約プレゼントであるこのエメラルドジュエリー。物との出会いも人との出会いと同じ、やはり縁というものがあるように思う。

エリザベスとリチャードは二度の結婚と二度の離婚。リチャードが亡くなった時には別の妻がいた。そんな歴史のある二人だが、エリザベスは晩年、リチャードこそが「ラブ・オブ・マイライフ」と語った。そんな激しい愛が閉じ込められたジュエリー。その力を再確認したひと時だった。

(倫子)

北米報知は、ワシントン州シアトルで英語及び日本語で地元シアトルの時事ニュースや日系コミュニティーの話題を発信する新聞。1902年に創刊した「北米時事 (North American Times)」を前身とし、第二次世界大戦後に強制収容から引き上げた日系アメリカ人によって「北米報知(North American Post)」として再刊された。現存する邦字新聞として北米最古の歴史を誇る。1950年以前の記事は、ワシントン大学と北米報知財団との共同プロジェクトからデジタル化され、デジタル・アーカイブとして閲覧が可能(https://content.lib.washington.edu/nikkeiweb/index.html)。