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Vol.167 佐渡の記憶〜地球からの贈りもの〜宝石物語〜

By 金子倫子

佐渡の記憶

以前にも触れたことがあるが、筆者の父は佐渡ヶ島出身。子どものころは2年に1度くらい島を訪れていたのだが、高校1年の冬に祖父のお葬式で訪れたのを最後に、それきりとなっていた。

5年ほど前にがんで膀胱を全摘出して以来泊まりがけの旅行をしたことが無かった父に、最後にもう一度故郷の景色を見せたいと思って数年。新型コロナウイルスの影響もあり、去年80歳の時にタイミングを逃してしまっていた。今年こそは何としても、と決意。何とか10月1~3日で行くことが出来た。

どうして最後と思ったのかと言うと、認知症の症状が明らかになってきたという事が大きい。昨年の認知症専門医の検査でも、とりあえずは大丈夫と言われたし、年相応の物忘れは仕方ないのだろうとある意味自分を納得させていた。しかし、決定打となったのが今年5月、父の81歳の誕生日のことだった。日々2、3時間ウォーキングに行っているので、歩きやすいスニーカーを新調するためにアウトレットに買い物へ行った。グレーのものを1足と、白にオレンジと鮮やかなブルーのラインが入った1足、合わせて2足を一緒に選んでプレゼントした。帰宅し、車から靴の箱を玄関に入れたのは私。そのあと部屋に持っていくのかと思いきや、そのまま玄関に置きっぱなしに。母が父に片付けないのか尋ねると、父はその数時間ほど前に一緒に買い物をした事を覚えていなかった。

そんなことがあって、寒くなる前の9月か10月前半までが勝負だろうと、今回は心を決めての帰省となった。筆者自身、佐渡の景色を見るのは最後かもしれないという思いと、両親と3人での旅行はこれが最後かもしれないと、根底に哀しみがある旅にはなった。ただ娘としての達成感もあったので、良い旅であったと思う。

佐渡金山 展示資料館名物、本物の金塊取り出しチャレンジ  写真:筆者提供

佐渡と言えば、以前も当コラムで紹介したことのある佐渡金山。ウェブサイト(www.sado-kinzan.com) によれば、開山は1601年で操業停止が1989年。現在、世界遺産登録はされておらず、市長や県知事が11月末に登録を後押しするべくユネスコ本部に行くそうで、結果は来年の夏頃に分かるそうだ。 登録を狙っているだけあり、佐渡金山の施設などが素晴らしく整備されていた。観光坑道の最後には、江戸時代の生活から金銀精製工程を表現した、500体もの人形を使用したジオラマが資料館で待っている。当時の鉱夫達をモデルにした人形は、数もシチュエーションも筆者の記憶の10倍20倍の規模に。幕府のために造られたさまざまな小判のレプリカも大量に陳列され、佐渡ヶ島から本土へ輸送するための立派な帆掛け船の縮尺模型なども展示されている。

「徳川埋蔵金いよいよ発見か」という話は定期的に話題になるし、徳川幕府の繁栄に佐渡金山は一端を担っていたであろう。近年でも、リーマンショックを機に金の資産価値は一気に上昇。1980年から2007年までは1トロイオンス当たり800㌦までの上下推移。それがあれよあれよと上がり、2020年以後は約2000㌦となった。

採掘されている金の約1割が産業用として使われている。その中でもこの数年、多くの人に身近になったのが簡易検査キット。以前からある妊娠検査、インフルエンザ検査に加え、昨今のコロナの検査キット。いずれにもイムノクロマト法という基礎原理が使われていて、そこで金ナノ粒子(金コロイド)という、超極小の金が使用されている。簡単に言うと、「(陽性で)赤くなる」という事象。原因不明のまま古代ローマでステンドグラスを赤くするために金が使用されていたが、1850年代に表面プラズモン共鳴によると原理解明され、応用しているのがイムノクロマト法なのだ。

検査キットのみならず、アルツハイマーの治療への使用も日々開発が進んでおり、人類の発展はまだまだ金と共にありそうだ。

フェリーを降り、新潟で新幹線に乗るころ、父は佐渡に行ったことを覚えていなかった。撮った写真は現像してアルバムを作り、父の部屋に置いてある。それを見て、記憶のどこからから、共に見たあの景色を引っ張り出してくれる事を、心から願う。

 

80年代のアメリカに憧れを抱き、18歳で渡米。読んだエッセイに感銘を受け、宝石鑑定士の資格を取得。訳あって帰国し、現在は宝石(鉱物)の知識を生かし半導体や燃料電池などの翻訳・通訳を生業としている。