本号より始まる新インタビュー企画。シアトルで活躍する日本人と日系アメリカ人に、仕事やコミュニティーでの活動についてインタビューしていきます!
取材・文:渡辺菜穂子
シアトル日本人コミュニティーの中で最も有名な人物の一人、宏徳エンタープライズInc.の菅沼秀夫さん。母親の菅沼愛子さんとともに、不動産という業務に限らず多様な貢献をシアトル日本人社会にもたらしている。温かい笑顔を浮かべ穏やかな口調で話しながらも、その内容は明確で分かりやすい。そんな秀夫さんに、ご自身と日本人コミュニティーについて語ってもらいました。
すがぬま ひでお
■宏徳エンタープライズInc. CEO /エージェント代表。父親の仕事で東京とシアトルを行き来しながら幼少期を過ごす。1993年にワシントン大学卒業後、20年以上にわたりワシントン州の不動産業界に関わる。趣味はスポーツ全般。一児の父。
シアトルへの縁、不動産業への縁
生まれは東京ですが、父の仕事の都合により1歳の時に渡米し、ポートランドとウエストシアトルに8年間住んでいました。当時の70年代は日本人があまりおらず、友達はアメリカ人ばかり。家の中で日本語で話しかけられても、英語で答えていたと思います。唯一日本語を話すのは補習校。ただ補習校も今ほど厳しくなかったので、友達同士の会話は英語でした。
小学校3年生の時に東京に戻り、日本の学校に通っていたのですが、中学3年の途中でまたこちらに来ました。1985年のことです。ベルビューに住むことになり、私も母も「なんでそんな田舎に家を借りたんだ」と文句を言いました。1回目の帰国当時のベルビューには何もなかったので。
2度目の渡米の直後、父に肺ガンが見つかり、亡くなりました。当時ベルビューの高校に通っていた私は、父の仕事関係のビザから学生ビザに切り替え、そのままワシントン大学に進学しました。学生ビザは大学卒業とともに切れるため、その後は日本で働こうと就職活動をして、ブリヂストンに内定をもらいました。「JAL/ANAの機体にブリヂストンのタイヤを履かすため、ボーイングに売り込みに行く」という売り文句で (笑)。
ただ、内定と同時にグリーンカードの抽選が当たったのです。日本に帰る必要はなくなったけれど、アメリカで就職活動もしていなかったので、どうしようかと迷いました。
当時、母が始めていた宏徳エンタープライズは、その時は不動産業というより便利屋みたいな会社だったのですが、とりあえずそこに不動産業を加えるつもりでライセンスをとりました。
最初は他社の不動産会社で修行したり、知人の依頼で食材の配送をしたり、他業務をしながら必要な宏徳エンタープライズの仕事に携わっていました。徐々に仕事が増え、フルタイムで不動産業務に携わるようになると同時に、会社の規模を拡大し、マネージング・ブローカーのライセンスを取り、そして今に至ります。
日本ではブローカーという言葉はあまり良い意味に取られないこともあるようですが、アメリカでは非常にステイタスのある言葉です。保険も旅行業務もみんな、ブローカーであることにプロ意識と誇りを持って仕事に臨んでいます。
日米両文化の影響を受ける
日米両方の教育を受けて育ちましたが、 私は仕事面ではアメリカ的だと思います。白黒はっきりしています。同時に日本人のことも理解していますので、アメリカ人エージェントと一緒に日本人のお客様の相手をしている時に、白か黒かという結論を迫るアメリカ人に対して、グレーの部分も説明できるのが自分の強みだと思っています。
日米では不動産に関する考え方も違います。例えば、日本では広い土地に価値を見出す場合が多く、傾斜があって使えない土地であっても、その広さに価値がつくと考える人もいます。また、売る直前にリモデルをして価格を上げるという習慣が日本ではあまりないので、中古の家にお金をつぎ込んで価値を上げるというアメリカ式の考え方が理解しにくいようです。それにより30万ドルでしか売れなかった家が、60万ドルになることもあるのですが。
日本の方にとって気にならないことをこちらの方が気にするケースも多々あります。例えば高圧線の真下に建っている家などがその一つです。過去にアメリカでは高圧線から受ける人体への影響が大きな問題となったことがあり、その後科学的に人体への影響はないと証明されながらも、今でも安全面を気にされる方が多く、価格が下がってしまいます。日本では気にしない方が多いのですが、売却時のチャレンジポイントをきちんと伝えることは大切だと思います。高速道路の真横なども同じです。日本の方は騒音をあまり気にしませんが、アメリカ人にとっては重要なポイントになることが多いです。駅前、バス停に近い、駅徒歩5分は日本ではところによってセールスポイントになりますが、アメリカではマイナスポイントになることもあります。
住みやすさと日系社会の歴史
不動産エージェントとしてこの地域の住みやすさを語るとすれば、まず「食」です。食材にしてもレストランにしても、寿司やテリヤキに限らない、きちんとした和食があります。次に「東洋人に対する受け入れ」の良さです。東洋人の人口比率が高く、移民の歴史も長いので、現地の人は東洋人に慣れています。 「日本への距離」が近いのも重要です。飛行機の乗り換えなしですぐ日本へ帰れるというメリットがあります。また四季があって「気候」が良く、「日本語のサポート」も充実しています。日本語対応のビジネスが多く、病院でも通訳がつき、日本語のみでも生活できます。そして子どものいる家庭には重要なポイントとなる「教育水準」が高いです。
現在のシアトルは、とても住みやすく素晴らしい街です。しかし、それは初代日系人たちが苦労して作り上げ、日系社会の歴史とともに在米における日本文化が段階的に積み上げられた結果です。初代日系人がこの土地にコミュニティーを作り上げた時代は、想像を絶する環境だったと思います。彼らが大変な時期を過ごしてくれたおかげで、我々が今シアトルで居心地よく過ごせるのだと思います。
大切にしているのは、出会った人々
私が一番大切にしているのは家族です。母親と、妻と、娘を含めた家族です。さらに、自分の友達、そして仕事や趣味を通してご縁をいただいたすべての人たちが、とても大切です。
不動産業は状況の流れの中で始めた仕事ですが、過去を遡ってまた人生を選べるとしたら、やっぱり同じ道を選ぶと思います。その理由は、この仕事を通してこれまで出会った人たちとのご縁がない人生というのは、自分にとってあり得ないからです。私にとって人との出会いはそのくらい大事です。
体を動かすことが趣味で、スポーツを介した友達も多いです。今はラグビー、ゴルフ、サッカーをしています。シアトルの日本人ラグビー・チーム「ラクーンズ」では、創設時からずっと活動しています。インドアサッカー・チーム「ドリンカーズ」にも所属していて、名前の通り、運動した後にお酒を飲んでいます。仲間とお酒を飲む雰囲気が大好きなのです。日米協会や敬老ノースウエストのゴルフトーナメントにも参加しています。
今後も家の総合管理から人生のサポートまで
現在、日本から来た方々のために、家のことはもちろん、お子さんのための学校選びや、ケーブルテレビの契約や設置など、頼まれれば生活に必要なありとあらゆるお手伝いをしています。不動産エージェントというより、ライフラインのサービスです。アフターケアもします。「問題が起きて大家さんに伝えたいのだけど、英語が通じなくて困っている」といった依頼にも対応しています。
将来的にも考え方は同じで、分野を広げていきたいです。日本人が手軽に移住できるシステム作りができれば、もっとシアトルが注目されるようになります。一般の人だけでなく、アメリカでビジネスを拡大しようとする日本企業がその拠点をシアトルにしてくれたらいいなと思います。
そのために、税金や法律など不動産以外の専門分野も勉強していこうと思っています。自分自身とともに会社も成長させ、家の総合管理だけでなく、生活や人生のサポートができるように。
私はアメリカでの暮らしの方が長く、もう38年になります。母国である日本のことも考えます。日本ではできないことがアメリカでできそうだという企業があれば、それをサポートさせてもらいたいです。今年9歳になる娘が、アメリカで育った日本人として自立する頃に、どちらの国もちゃんと住みやすい場所であってほしいと思います。
ビジネスインフォメーション
1992年に設立された宏徳エンタープライズInc.は、初めて日本人によって設立されたワシントン州公認不動産会社。物件売買をはじめ、賃貸物件紹介、100件以上のリース物件を管理するなど、総合的にワシントン全域で不動産関連サービスを提供する。近年では、ベルビュー中心地の空き地を200万ドルで売買成立させるなど、ミリオン以上の物件売買も数多く手掛けている。アメリカでの不動産取引になじみのない日本人に、きめ細やかなサポートを行っている。不動産売買、ローン会社、登記手続きなどのプロセスを日本語で詳しく説明する「不動産無料セミナー」を開催している。また1998年から始めた無料セミナーでは、現在に至るまでのべ760時間を提供している。
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