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第2ステージの相棒〜地球からの贈りもの、宝石物語

私の両親は特に政治的な人間ではないのだが、選挙の投票だけは必ず行くようにというのがモットーである。1番最初に並ぶほどではないが、最初から数えて5番から10番ぐらいのポジションを狙っているらしい。母曰く、たまたま1番だったときは、わざと近くを歩いて誰か並んでから後ろに並んだそうだ。私も選挙が近づくと「当日ダメなら選挙前投票しなさいね」と諭され、選挙に行く習慣が備わった。

いろいろな意見があるのは分かっているが、私が生まれる前の年にに制定された法令が約50年の時を経て覆されそうだったり、またもや銃の乱射事件でテキサスの小学校の19人の小学生たちが犠牲になったりするのを目の当たりにすると、投票することの重要さを感じずにはいられない。「票が盗まれた」「いんちきだ」という声に惑わされないで欲しい。投票しなくては最初の一歩にもならないのだから。

今回犠牲になった子どもたちはDNA鑑定で身元を確定したそうだ。損傷が激しく、顔で認識できない状態だったということだ。使われた武器はベトナム戦争で使用された物と同じモデルだそうだ。ウクライナの戦争と同じで、これは対岸の火事ではない。ひとりひとりが自分の事であり、自分が変えられるという信念を持つべきだと思うのだ。

私もいよいよ行動せずにはいられなくなり、小さな活動を始めた。

何度も繰り返して恐縮だが、今年は年女の私。自分は何をするために生まれてきたのだろうか? すべきことをやったのだろうか?と自問自答した時に、まだ自分のポテンシャルを全て出し切っていないというのが答えだった。今年こそいよいよ跳ばなければと沸々と思っていたが、安定や習慣から抜け出せずにいた。そんな状態を本気で打破すべく、風穴ならぬピアス穴を左耳だけにひとつ追加した。29年前に両耳にひとつずつあけて以来だ。最初のピアスは渡米する数カ月前、まだ高校を卒業する前だった(当時の日本の高校はピアスなど禁止)。自分や家族だけで手いっぱいだったこの30年を経て、今度は社会に何か還元する第2ステージの幕開けだ。

つい先日、ここ数年めっきりメディアでの露出が減っていた、日本の著名なメイクアップアーティストの連載コラムを読んだ。ひとつの記事では、片方1.5カラットのダイヤのピアスを購入し、そのためにピアスの穴を開けなおしたのだと書いてあった。彼女は、50年代のアンティークのプラチナとダイヤの指輪に関する雑誌の切り抜き記事を取っておくぐらいのアンティーク・ジュエリー好き。最新の回では、東日本大震災で人生を見つめなおしていろいろ手放し、残ったのが先のピアスと指輪だそうだ。そして50年代の、大粒のダイヤの連なったテニスブレスレットに関する内容だった。「自分らしく、自分の好きなものだけあれば十分」と。

私もジュエリーケースを開けると、妥協無く「好き」というものだけが残っている。最近になって、歪んだまま15年ほど着けていなかった指輪を、サイズと歪みを直してピンキーリングにした。ゴッドファーザー(マフィア?)みたいでピンキーリングはず〜っと嫌悪していたのだが、何がどうなったのか、急にカワイイ!と思うようになってしまった。しかも最初から誂えたような、色んな意味で私の左手小指にぴったりなのだ。ただサイズと歪みを直しただけで、命が吹き込まれたかのよう。40歳を過ぎて、むやみやたらに中途半端な値段の物を買う事は無くなったが、それでも数年に一度ぐらい、それなりの物が買いたいと思っていた。しかし、ジュエリーは好きだが、結局指輪は片手に1個ずつに、ピアスのみ。ネックレスは1本も持っていない。じゃらっと、いくつものジュエリーを重ね着けている人を素敵だとは思うが、自分は1時間と着けていられないだろう。

欲しいと思う欲求と、足るを知る満足感という相反する気持ち。今はまだ開けたばかりで、ピアス交換出来るのは1カ月先。でもここに鎮座するピアスは随分前から決めている。一緒に第2ステージを邁進してくれる相棒。今はそのワクワクする気分を楽しみたいと思うのだ。

80年代のアメリカに憧れを抱き、18歳で渡米。読んだエッセイに感銘を受け、宝石鑑定士の資格を取得。訳あって帰国し、現在は宝石(鉱物)の知識を生かし半導体や燃料電池などの翻訳・通訳を生業としている。