Home 食・旅・カルチャー 地球からの贈りもの~宝石物語~ ウィルスとの戦いの中で

ウィルスとの戦いの中で

新型コロナウィルスに関しては、一時の全く先が見えない状況を少し越えて、意識が経済の再始動に向いてきた。しかし国ごとに、米国内では州ごとの対応の違いも大きく、最終的に何がより効果的な方法なのかを知るには、まだまだ時間がかかりそうだ。ワシントン州は、米国でも先陣を切って感染確認があり心配したが、州政府の政策や住民ら個々の意識の高さもあり、他州より被害は抑えられているのではと思う。この数カ月の日々の戦いに加え、まだまだ予断を許さない状況が続くなか、医療従事者の皆さんには感謝の気持ちしかない。

日本の雑誌で職種別のアンケート調査があり、そこで面白い結果を読んで今でも記憶に残っていることがある。それは、看護婦は時計にお金をかける人の割合が平均より多いというもの。日本では職業によってかなり装飾品の規制があり、看護婦も例外ではないらしい。実際の規制のみならず、日本の社会や職場環境として華美なものが許容されにくいのかもしれない。しかし、時計は脈を測ったりなどでも使用することから、看護婦にとってはある種の必需品。許容される装飾品である時計は、少し贅沢なものを身につけたいということなのだろう。

最近は、日本でも自由度が少しは増しているのかもしれない。知り合いの宝石店主が、看護婦をしている顧客が約100万円のダイヤの一粒ピアスを自分のために購入したことを興奮気味に話していた。彼世代の地方の宝石店主には、働く女性が自分のためにこの額を出して宝石を購入することは、まだまだ珍しいのだろう。いたく驚いていて、私としてはその反応に驚いたが、それと共にダイヤモンドのピアスが許される医療現場の変化を嬉しく思った。

私の好きなエッセイストの一編に、介護の終盤で入院した母親の世話をする病室の鏡にふと映った自分の顔、その耳に光ったダイヤモンドに勇気づけられ力を貰ったという内容のものがある。過酷な現場や状況だからこそ、その戦いの合間に、ふと美しいものに心奪われ癒される瞬間が、とても大きな意味をなすのではないかと思った。

米国では、看護婦や医療関係者の装飾品に、特に規制はないのではないか。実際に、私の友人の看護婦も、ダイヤモンドの立て爪の指輪やブレスレットを勤務中に身に付けている。日本との違いを感じたのは、長女を出産した約23年前。いよいよ出産するという時に担当してくれた看護婦の耳から、あご近くまでぶら下がるオウムのピアスを見た時、「おー、これぞアメリカ!」とある種の感動を覚えた。日本であったら不衛生だなんだとうるさいのかもしれないし、私自身も「この大きなピアスが赤ちゃんのベッドに落ちてたら嫌だな」とは思った。しかし、小さなピアスだって落ちる可能性はあるし、小さければ見つけにくい。どこまでが許容なのかという線引きが一番難しい。

この線引きの難しさは、現在のコロナ対策でも同じかもしれない。何は再開して、何は規制するのか。どの程度まで規制するのか。グレーの部分にも線引きをするのはとても困難であり、最大の焦点でもある。

段階を踏んだ再開が始まるにしても、不要不急の外出は控えることや、家にいることがニューノーマル、新しい日常になるかもしれない。だからこそ、外出しないからとほぼ起きたての状態で一日過ごすのではなく、朝に身支度をして、自分のために装って欲しい。こういう状況だからこそ、自分が所有する美しいものを纏い、所作に気を配り、日常の一つ一つを丁寧に行うという事が重要だと思うのだ。美しいものを美しいと感じ、何かを口にして美味しいと感じる。それは生きている証であり、生きていればいつかきっと何とかなる。感染のみならず、経済的な不安も膨らみ、押し潰されそうな気持と日々向き合っている。だからこそ、意識して身の回りにある美しいモノに自分自身が気づきたいし、気づいて欲しいと願う。

日々の戦いの中、医療や生活必需の事業に携わっている皆さんにも、一瞬でもそんな時がありますように。

80年代のアメリカに憧れを抱き、18歳で渡米。読んだエッセイに感銘を受け、宝石鑑定士の資格を取得。訳あって帰国し、現在は宝石(鉱物)の知識を生かし半導体や燃料電池などの翻訳・通訳を生業としている。