Home 食・旅・カルチャー 地球からの贈りもの~宝石物語~ 饗宴の儀にて

饗宴の儀にて

10月22日、即位礼正殿の儀が、各国の来賓に見守られるなか行われた。各国のロイヤルファミリーの出席も多く、昼の式典や夜の晩餐会の服装やジュエリーを見ているだけでもため息がでた。雅子皇后の婚約の折には、キャリア女性が皇室に入り新時代を築くだろうと思っていたので、長い療養期間をとても残念に感じていた。だからこそ、今回の儀で生き生きと各国の要人らをもてなされているお姿を見ると、本当に嬉しい。

単独で式典と晩餐会に参加した英国のチャールズ皇太子。その次男ハリー王子は、タブロイド紙を提訴して話題になっている。昨年結婚したメーガン妃を的にした悪意ある報道が、懐妊・出産を経て激しさを増しているという。メーガン妃はインタビューで、その辛い心境を吐露していた。その映像を見て、雅子さまも少しでも心境を吐露できるような機会があったなら、療養期間はもっと短かったかも知れないと思ってしまう。

雅子さまの長い療養期間を経た、今回の一連の式典。皇后としての素敵な装いに目を奪われてしまう。4回にわたって行われた饗宴の儀。ロイヤルファミリーを含む各国要人400人程が招かれた1回目の儀では、雅子皇后は明治の昭憲皇太后の頃より受け継がれている第1ティアラに、大粒ダイヤの2連ネックレス、ダイヤモンドのブレスレット、イヤリングを身に付けられた。ドレスはクリーム色で首元にフリルのついたローブデコルテ。最も正装度の高い服装をされていた。三権の長やノーベル賞受賞者などが出席した2回目の儀では、少し揺れるタイプの一粒真珠のイヤリングに3連パールのネックレス、薄黄のようなベージュ系の色味に白い折柄のロングドレス。他の皇族女性はヘッドピースを付けていたが、雅子皇后は無し。1回目に比べてグッと正装度が下がった。3回目の儀は、アイシーブルーの首から腹部にかけて大から小へとグラデーションになるフリルのついたロングドレス。イヤリングは一粒の揺れるパールで、2回目にお召しになったものよりも大粒のものに見えた。パールの3連ネックレスは2回目と同じものに見えたが、中央にダイヤが並んだサークルの中に大粒パールが揺れるペンダントヘッドを加えてらした。4回目の儀では着物をお召しになったので、ジュエリーは指輪のみだった。

饗宴の儀が4回と聞いて多いと思ったが、平成の折には4日間で計7回を行い、しかも全て着席形式だったそう。今回は3、4回目は立食形式だったので、これでも簡略化されているそうだ。雅子皇后の体調を気遣っての日程とも言われている。

長期療養中の雅子さまをプライベートで静養に招いたことで知られるオランダのマキシマ王妃。アルゼンチン出身で、当時の王子と出会った時はニューヨークで銀行員をしていた民間人。官僚だった父親がアルゼンチンで起きた虐殺に関与していたのではという疑惑で、結婚までの道のりは大変だった。婚約会見ではオランダ語を習得し、少しずつ国民の心を掴んだマキシマ女王。疑惑は晴れたものの父親は結婚式への参列が許されず、「夫が参列できないなら」と母親も結婚式には出席しなかった。そんな荒波を乗り越えたからだろうか、マキシマ王妃の笑顔は太陽の様だ。王妃の婚約指輪は、オランダ王室の色と言われるオレンジ色。鮮やかな2カラット程の楕円形のダイヤモンドの両脇にシールド型の透明なダイヤモンドが配され、上下にダイヤモンドのバンドで挟まれている。この鮮やかなオレンジ色のダイヤモンドは未来の嫁のためとベアトリクス女王が用意していたもの。このオレンジ色のダイヤモンドの様に、マキシマ王妃の笑顔は明るく温かい。

雅子皇后と同じようにキャリア女性からロイヤルファミリーに入った王妃は他にも何人もいて、雅子皇后を応援してくれているのだと感じた。今回の一連の儀式で見た雅子皇后がこれからもずっと続いて欲しいと切に願うばかりである。

80年代のアメリカに憧れを抱き、18歳で渡米。読んだエッセイに感銘を受け、宝石鑑定士の資格を取得。訳あって帰国し、現在は宝石(鉱物)の知識を生かし半導体や燃料電池などの翻訳・通訳を生業としている。