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ハヤシ・アベニュー

コミュニティーの動きを見ようと、二世復員軍人会(NVC)のニュースレターをオンラインで開いたところ、短く書かれた一つの情報が目に留まった。

 シアトル市内北にあるレイクシティ地区の通りの一つが、日系移民一家の足跡を讃えて「ハヤシ・アベニュー」と冠されたとのことだった。場所はコミュニティーセンター、図書館が建つ28番アベニューNEでNE125番ストリートとNE127番ストリート間の約2ブロックとなる。

 ハヤシ一家は第二次世界大戦時における強制退去まで同地に居を構え、農園「レイクシティ・ファームズ」を営んだ。学校などに植樹するなど近隣のコミュニティー構築にも貢献したが、退去を受けた後は同地に戻ることはなかったという。

 この通りは夏季に恒例行事となるファーマーズマーケットが開かれる。同地にゆかりあるハヤシ一家の足跡を考えれば、名称にぴったりと当てはまる。人種問題を含めた社会正義に意識が高まり続ける中、地元コミュニティーによる活動が認められ、10月にハヤシ一家の関係者も参加して記念式典が行われた。

 以前に記したことがあったが、米国内の各州を訪れてみると日系入植者の名前を冠した通りや場所を見る機会がある。ワシントン州内でも同様で、ベインブリッジ島のNEコウラ・ロード、カスケードの山中にあるハマダ・レイクといった例もある。

 インターナショナル・ディストリクトの日本街地区には英語と日本語で通りの名前が書かれた。19世紀後半には同地区南端のディアボーン・ストリートがミカド・ストリートと呼ばれたとの資料もあるが、筆者の知識不足かもしれないが、シアトル市内で日系移民の名前を冠した通りはなかったと記憶している。

 新しい世紀に入り、スワード公園の鳥居プロジェクトなど、シアトルの各所で歴史を残す近隣プロジェクトが立ち上がり、日系移民の足跡も回顧されている。先人たちの貢献に改めて感慨を覚えた。

         (佐々木 志峰)

オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。