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航空宇宙産業の雄、ボーイング社が15日、設立100周年を迎えた。今夏には関連イベントもさまざま開催されている。I―5から見ることができるボーイングフィールド、航空博物館にはANAのロゴを施したジェット機も姿を見せていた。

当地における一大企業には、当地日系社会でも多くが関わっている。時代や景気の波で、多くの日系関係者が酸いも甘いも経験しているのではないだろうか。

近年は日本とのつながりでジェット機製造のイメージが強いが、歴史的に見れば軍事面における比重も高い。第二次世界大戦におけるB29もその1つとなる。

ボーイングが築いてきた航空産業における技術や経験は、日本にも貴重なものとなる。三菱航空機が当地に拠点としてエンジニアリングセンターを開設、近くモーゼスレイクでも飛行訓練を予定している。

今ではIT、医療関係企業が伸び、文化面を含め、様々な分野が豊かな発展を見せるシアトルだが、歴史的に経済、雇用で当地を支え続けてきた企業として、ボーイングの存在は決して欠かすことはできないだろう。ワシントン州内での雇用数は10万人強をピークに2011年にも8万人以上に達した。

様々な時代の波を受けながら、現在は旅客ジェット機における企業協力体制が、日本関連企業と構築されている。日本企業が製造にかかわる比率は代々の機種で高まりを見せ、787型ドリームライナーでは約35%に達した。

ボーイング社が設立されたのは1916年。当時は「飛行ブーム」と呼んでもよい時代で、当地でも数々の「空への挑戦」が続けられていた時期だった。1910年代前半には日系飛行士の活躍も伝えられており、本紙でも過去に大きく取り上げた高左右隆之氏はその先駆けといえる。1908年に当地に移住、自力で飛行機を作り上げ、10年代前半にグリーンリバーのバレーが広がるトーマスの地で初飛行に成功した。その後、世界各地で飛行を披露している。日本の広告塔とも呼べる存在だったのではないだろうか。活躍ぶりは当地日系メディアでも伝えていた。

こうした空への動きを見てからのボーイング社の設立。100年以上前の日系飛行士の活躍が、少なからず貢献したと思いたい。

(佐々木 志峰)

オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。