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イチロー選手とシアトル

大リーグの春キャンプでシアトル・マリナーズのイチロー選手が、「かつての定位置」だった1番で復帰後初出場したときの球場は大変な盛り上がりだったという。

練習施設を隣接するサンディエゴ・パドレスの関係者にもその歓声が届き、強い印象と感動を覚えたそうだ。その数日後、右ふくらはぎを痛めるアクシデントに見舞われたが、回復は早くすでに練習を再開している。順調であれば今月末のセーフコフィールドのシーズン開幕でその雄姿を見ることができそうだ。

マリナーズと地元日系社会は近年、毎年ジャパンナイトを催してきた。去年はフロリダ・マーリンズに所属していたイチロー選手の凱旋(がいせん)に合わせた形で行われたが、マリナーズはその翌日にイチロー選手バブルヘッド人形のイベントを実施。参加を二分させる後味の悪さがあったことを覚えている。現場は大変だろうが、今年はシーズンを通してチャンスがある。岩隈久志投手が復帰すれば、地元日系関係者にもさらに熱が入るだろう。

イチロー選手の存在が、シアトルをベースとした日米関係の大きな橋渡しとなったことはまぎれもない事実。観光面における貢献は多大で、ロサンゼルスの地元紙オレンジカウンティー・ジャーナル紙によれば、イチロー選手がマリナーズで活躍した時の日本からの年間観光客数は従来の6万人からピーク時で12万人に達したという。日本選手同士の対戦があれば、さらに人を呼ぶ。ボストン・レッドソックスの松坂大輔投手が2007年にシアトルでイチロー選手や城島健司捕手(当時)に対峙した時、バンクーバーやポートランドから数百人単位のツアーバスが出たことを記憶している。今年は大谷翔平選手がいる同地区のロサンゼルス・エンゼルスと5月4日から始まる3連戦を皮切りにシアトルで9試合が組まれている。

「観光」だけでない。メディアを含めた日本におけるシアトル紹介の効果は計りしれなかった。多数の企業が興隆し、自然多きノースウエストの中心地は日本の「メジャー」な都市となった。筆者もまたその影響を受けた1人だっただろうか。

(佐々木志峰)

オレゴン大学でジャーナリズムを学んだ後、2005年に北米報知入社。2010年から2017年にかけて北米報知編集長を務める。現在も北米報知へ「一石」執筆を続ける。