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インタビュー タブロー・ソフトウエア 鷹松弘章さん

世界的IT企業、マイクロソフト社で主幹マネジャーという重要な役職に就いていた鷹松弘章さん。1年前、20年近く勤務した同社を退職して、シアトル発祥のスタートアップ企業、タブロー・ソフトウエア(Tableau Software)に転職しました。「これからのライフワークを見つけたから」という鷹松さんに現在の心境、そして、さまざまな社外活動について話を聞きました。

取材・文:越宮照代

スポーツ少年からITエンジニアへ

少年時代の鷹松さんはスポーツ好きで、野球、サッカー、バ レーボール、スキーと、スポーツに明け暮れる、のびのびとした健康的な日々を送った。同時に、鷹松さんの将来を構築する基礎となったコンピューターとの出合いも当時すでに生まれていた。「小学3年の頃、友人の家で見たコンピューターに魅せられ、父親が会社から持ち帰ったお古のアップル・コンピューターを相手に、雑誌を読みながら独学でプログラミングを覚えました。“スポーツのできるおたく”を目指していたんです(笑)」

高校に進学すると、2歳から始めた競技スキーの腕を見込まれ、競技スキー部に所属した。トレーニングのため、夏はオレゴンのマウント・フッドやニュージーランドに海外遠征、冬は国内のスキー場に行ってスキー三昧の日々。学校の出席日数が1年に40日にも満たず、「頼むから期末試験だけでも受けて」と担任から言われるほどだったが、それでも情報処理のクラスだけは成績が良かったという。大学受験はスキー推薦を考えていたところで高校3年の1月、関東大会出場中に転倒して右足靭帯を損傷し、最後のインターハイは棄権。スキーでの将来の道が閉ざされた。卒業目前という土壇場に来て鷹松さんは気持ちを切り替え、「国連の弁務官になりたい」という、もうひとつの夢に向かって留学を決意。卒業式の数日後にはカナダに向かう飛行機に乗っていた。

「大学入学時の英語力テストでは100点満点の3点でした。自分では勉強していたつもりですが、実際には英語が全く分からずに留学したんです」。鷹松さんはそう言って笑う。最初の夏休みを迎えて学校の寮を追い出され、カナダを旅行したが、土地勘もないのでモーテルにこもって1日中テレビをつけっ放しにして過ごした。「それが良かったんでしょうね。学校に戻ると英語がわかるようになっていました」

元来しゃべるのが好きな鷹松さんは、積極的にボランティア活動をするなどして英語社会に溶け込んでいき、どんどん語学力を身に付けていった。大学ではビジネス・マネジメントを専攻し、勉強漬けの毎日。コンピューターのクラスを取った際、すでに鷹松さんが基礎を習得していたことから、教師に請われて助手になり、結果としてコンピューターのスキルに磨きがかかることになった。

就職活動では、英語もコンピューターもできる鷹松さんは、いわば金の卵、即戦力になるとして引っ張りだこに。日本は就職氷河期に突入したばかりの時代だったが、後に入社するマイクロソフト株式会社(現・日本マイクロソフト)を含め、いくつものコンピューター関係の会社から内定通知が来る。「では、その方向に行くか」と決め、鷹松さんはロータス株式会社を選んだ。「人事の女性がすごくきれいだったんで す(笑)」

大学は、学部トップの成績で卒業。卒業式では「在学中に最も成績が伸びた学生」に選ばれ、卒業生総代で挨拶をした。「入学時、3点でしたからね」と鷹松さんは愉快そうに言う。日本ではロータスに4年在籍し、その後、日本マイクロソフトに転職した。しかし、自然たっぷりのカナダで学生時代を過ごした鷹松さんにとって、満員電車に揺られて通勤する日本の会社員生活は窮屈なものでしかない。数年後、ワシントン州レドモンドのマイクロソフト本社に転職した。1996 年に結婚した妻との間に誕生した娘は、この時1歳だった。

アメリカで訪れた人生の転機

フリーモントにある2017年 3月に完成したばかりの近代的なタブロー・ソフトウエアの本社。実際に会うと、鷹松さんはとても気さくなジェントルマンという印象

「子育てをきちんとする」と決めていた鷹松さんは、マイクロソフト本社に入社した最初の数年は、昼間仕事に行き、夕方は子どもの食事の時間に合わせて家に帰って食事をさせ、寝かしつけてから会社に戻るという生活を続けた。まさに「イクメン」の先駆け。しかも、世界最大のIT企業であるマイクロソフト本社には世界から優秀な人材が集まり、競争も激しい中で生き残るのは並大抵のことではなく、大量解雇もしばしば行われる。「最初の3年くらいは昇進もしませんでした」。そうした厳しい環境の中で、鷹松さんは社内でさまざまな職を経験。2008年からはシニア・マネジャーに、そして 2012年には、上には経営陣のみの主幹マネジャーという重要なポジションに就いた。4,500万ドル(約5億円)もの予算、40人近くの部下を管理し、同時にウィンドウズのネットワーク・デバイス部で技術アップデートとセキュリティ更新プログラムを取り扱う仕事もした。ミスをしたら世界中のウィンドウズ利用者に影響がおよぶという大変なプレッシャーの中で、仕事に打ち込んだ。「日本の企業ではできないような、幅の広い経験をさせてもらいました。やっているときは一生懸命で、特にプレッシャーや厳しさは意識していませんでしたね」

心理的な転機が訪れたのは4年前。離婚がきっかけだった。ちょうどその頃、会社で大規模なレイオフが行われ、マネジャーとしてチーム・メンバーに解雇を言い渡さなければならなくなり、自分も厳しい状況に置かれる中、「これからの人生において自分の責任とは何か」と考え始めるようになっ た。「人生で学んできたものを次の世代に伝えたい」。それが鷹松さんの出した答えだった。

どのようにしてそれを行うか、方法への展望が見えてきた 2016年10月、転職活動を開始した。鷹松さんのキャリアを考慮すると当然のことと思えるが、転職活動を始めるとすぐに、アマゾンや日本の大きなIT企業など、いくつかの会社から声がかかったそうだ。しかし、その中から鷹松さんが選んだのは大企業ではなく、2012年に株式公開したばかりの若い会社、タブロー・ソフトウエア。「この会社を選んだのは、社会貢献に対する同社の姿勢です。設立と同時にタブロー・ファンデーションというNPO(非営利団体)を創っています」 NPOでは、データを可視化できる同社のソフトウエアを用いて社会貢献をする。最初に取り組んだのは、ザンビアのマラリアを2021年までに根絶するという目標。「2012年の時点で、ザンビアの子どもたちはマラリア感染で1分に1 人のペースで死亡していました。死亡者根絶を目標に掲げ、PATHというシアトルの別の医療系NPOと協力し、わずか2 年後の2014年には死亡者をゼロにしたんです」。データを可視化する技術によって、マラリアの発生地の傾向が視覚的にとらえられたことで成功に結びついた。

「マイクロソフトもそうですが、自社製品の性能を宣伝しながら、同時に社会貢献もする企業のこうした取り組みは、アメリカではよく見られます。こうした瞬間にアメリカ人って天才だな、と思うんですよ」。社会貢献が自社の利益にもつながるという、一石二鳥の合理的な発想を日本に伝えたいと考える鷹松さんにとって、こうした企業姿勢は魅力的だった。しかも同社には社員にボランティア活動や社外活動を自由にやらせてくれる文化があり、会社そのものがお手本になって実践してくれる。そこに引かれて入社を決意したのだ。

2016年には再婚した。相手は19歳の時にカナダで知り合い、告白して振られた相手。フェイスブックを通じて数年前に再会していたそうだ。彼女にも子どもがいて離婚しており、しかも重度のリューマチを患っていて車椅子生活だった。「マイクロソフトで走り続けてきた自分を振り返り、後世に残すとは何か、本当の幸せとは何かとか、いろんなことを考えて決断しました」

アメリカで学んだ徳の循環

2016年には、東京大学経済学部でグローバル・マネジメントをテー マに講義を行った

「アメリカで学んだのは、次の世代や周囲の人に、お金や優しさという、徳の循環を振りまくこと。そうした話や経験談を、日本の人たちや周りの人たちに伝えたい。それがライフワークです」。お金のない日本人留学生を自宅に呼んで、手料理をご馳走するのも徳の循環を振りまくためだ。

学生時代から始まって、ボランティア活動は数え切れないほどしている。シアトル日本語補習学校のPTAもそのひとつで、非営利団体にしたのも鷹松さんのアイデア。そのおかげで、企業からの寄付を受け取れるようになった。コーチとして発足したサッカー部は「当初は15人だったのに今では120人以上にもなっている」と、うれしそうに話す。スポーツ少年だった鷹松さんならではだ。ひとり娘が所属したPNB(パシフィック・ノースウエスト・バレエ)でも、ボランティアを約10年続けた。「どれもこれも、特にボランティアをしようという気負った意識ではなくて、やりたいことを好きでやっているという気持ちですね」。鷹松さんの言う「徳の循環」のひとつなのだろう。

シアトル周辺にはマイクロソフトを筆頭にIT関連の企業が多いが、それに従事する日本人も多い。そこで日本人IT従事者が集まって活動をしようと、2010年にはSIJP(シアトルITジャパニーズ・プロフェッショナルズ)が発足。子ども対象のコンピューター講座を開いたり、学生のキャリア・イベントを行ったりしている。ITとシアトルが好きなら誰でも入会可能だ。鷹松さんは発足当初からのサポーターで、ボードメンバーを2年務めた後、2017年初めから4月まで会長職に就いた。「現会長で発起人の今崎憲児さんは、純粋な気持ちで子どもたちにプログラミングを教えてあげたい、学生たちと一緒に活動したいと頑張っています」。鷹松さんは今後も活動をサポートしていきたいと考えている。日本では、ITというとシリコンバレーと考える人が多いが、「今ではポートランド、シアトル周辺のほうがIT従事者は多いんです」と、鷹松さん。つまり、シアトルは世界最先端のIT情報と人脈に密着した場所なのだ。「この有利な条件を体験しつつ、日本にも恩返ししたいので、今はシアトル、西海岸のベースを変えるつもりはないですね」

シアトルは鷹松さんの大好きなスポーツや野外アクティビティーの場としても恵まれた環境。「スキーにしても、コンピューターにしても、私の好きなものって全部シアトルにあるんですよ」。2007年にはひとり旅でモンタナ州とアイダホ州へ。写真のブラウン・トラウトは約15分の格闘の末、釣り上げた

 

鷹松弘章(たかまつひろあき)■埼玉県出身。ソフトウエア開発・IT関連企業で25年近く勤務。マイクロソフト本社ウィンドウズ・チームの主幹マネジャーとして開発およびマネジメントに取り組 む傍ら、採用、給与、等級の決定からレイオフまで携わる。在籍中、イノベーションや特許アイデアの功績でGold Star Award を4回、社長賞を3回、計7回の受賞経験。2017年1月、タブロー・ソフトウエアに入社し、現在はエンジニアリング・マネジャーとして働く。東証一部のスターティア株式会社で社外顧問を務め、講演会やビジネス・コーチング、大学や企業のアドバイザーなどの社外活動も行う。2017年4月までNPO団体SIJP(Seattle IT Japanese Professionals)のディレクター・会長を務める。フェイスブック→fb.me/TakamatsuOfficial

 

SIJP:Seattle IT Japanese Professionals ┃シアトルITジャパニーズ・プロフェッショナルズ
シアトルを基盤とする非営利団体(NPO)。シアトル周辺のIT関連企業、マイクロソフト、アマゾン、グーグル、任天堂アメリカなどで働く日本人のITプロフェッショナルたちが集まり、専門技術・知識を通してコミュニティーに貢献することを目的に活動。子ども、学生、大人向けに、面白くてためになるイベントを定期的に開催している。ITに興味があれば基本的に誰でも参加可。シアトル近郊の日本人大学生で構成されるSIJP学生部もあり。 ウェブサイト
SIJP子ども向けイベント情報
「IT教育プラットフォーム Seesaw」
日時:1月14日(日)4:30pm~6pm
場所:Redmond Library Room 1 15990 NE. 85th St., Redmond, WA 98052
レドモンド図書館で2部構成の無料コンピューターサイエンスワークショップ(英語)を開催。1部ではコンピューターテクノロジーが子どもたちの将来の仕事をどう変えていくかを考える。2部ではコンピューターサイエンスの基礎である2進法について「魔法の手袋」を使って学ぶ。タブレットかコンピューターを持参(貸し出し可)。8歳以上対象。
越宮 照代
ライター、編集者。関西の出版社に8年勤務の後、フリーライターに。語学留学のため渡米。シアトルのESL卒業後スカジット郡に居住し、エッセイ寄稿や書籍翻訳などを手がける。2006年より『ソイソース』の編集に携わり、2012年から2016年まで編集長を務める。動物好きが高じてアニマル・マッサージ・セラピストの資格を取得。猫2匹と暮す。