カリフォルニア州にあるマンザナー国定史跡の庭園は、第二次世界対戦時に強制収容された日系人が手掛けた環境修正、改善において、歴史的、象徴的なものといえます。
マンザナーの日本庭園は、スタイリッシュなコンセプトと、何百年を超える庭園作りの伝統により育まれた要素を組み合わせ、日本の歴史、文化、世界観、宗教、美学を表象しています。マンザナーの文化的風景を特徴付ける存在で、米国家歴史登録財に登録されるための4つの要件、さらに米国定歴史建造物に認定されるために必要な条件の多くを満たしているのです。
マンザナー総合管理計画と関連部署において、庭園保存と復興に重きが置かれてきました。庭園管理計画では、総合管理計画で設定された目標を達成すべく、特定の手法が規定されます。庭園管理計画で、マンザナー庭園の全貌を知る機会を得ることができます。
全ての業務は、内務省の定める基準や歴史的財産の取り扱い指針に適うよう手配されます。史跡の持続性を確保するため、新たに育てられる植物は干ばつに強く、無造作に繁殖することのないもので、設置される灌漑や水関連設備は、水節約の機能を持ったものが選定されます。バリアフリー通路、理解をサポートする様々な形態の媒体により、広く開かれた空間としても存在感を発揮することでしょう。
ツアーロードに沿って位置する3つの庭園には、植物が植えられ、水に関連した設備が設けられます。庭園は▽33区画─アライ養魚池▽34区画─山紫園▽メリット公園となります。
3庭園は、マンザナーで最も知名度の高い地区公園、兵舎公園、軍食堂公園にあり、それぞれが近くに位置し、ツアーロードを通じ徒歩で見て周ることができます。近くには井戸や、果樹園の灌漑パイプラインが存在し、水を引くのは比較的容易だと考えられています。
管理地区内では、被抑留者が白人向けに設計した庭園と、自身のために製作した庭園の2つ▽玄関口庭園▽管理環状庭園庭園は、それぞれの違いが観察できるように歴史的状態を鑑み復元、保護されます。
庭園は岩、ヨシュアの木、さぼてんに彩られた枯山水の庭園となります。時折、手作業での水やりや、定期的な植物の植え替えが必要となりますが、灌漑設備は必要ありません。
マンザナーは、孤児院の併設された、唯一の日系人収容施設であったことから、子供の村とチェリー公園は、心に訴えかける抑留の象徴として一部復元されるべきです。さらに保護対象の認識、記録には、考古学的発掘も必要となります。
デモンストレーション区画での理解を深めるため、14区画の小さな芝生や庭園を利用し、レプリカの建物を設置します。説明文や適切な施工とともに歴史的、考古学的な関連データを得ることができるようになります。病院庭園、9、12、22区画の軍食堂庭園では、同庭園独自の重要な機能や特徴の復元も考えられます。
その他にも、歴史的な記録や口頭伝承で、様々な庭園が大事な宝として受け継がれてきました。より明確な状態評価を行なうためには、考古学的な調査も必須でしょう。
マンザナーにある多くの庭園は、そのままの状態を安定して保つことが可能です。庭園の「手つかず状態」を維持することで、被抑留者が足を踏み入れた当時の乾燥した過酷な環境、また砂漠特有の冷淡な雰囲気を喚起することができます。
庭園管理の計画実行は、プロジェクトにおける追加資金調達によりますが、現在の職員態勢でも実現可能です。安定的保存、メンテナンス、モニタリング、職員トレーニングは、長期的成功に欠かせない要素となります。
効果は圧倒的なものが予想されます。復元された庭園への訪問者は、日系人収容について学ぶ機会を得、またより深く、収容者が残した史跡を理解するようになります。庭園が人々を導き、過去との接点を提供します。マンザナーの庭園は、適応、反抗、回復、希望の印として、過去から現在に至るまで、重要な存在となってきました。
米国立公園局は、文化的、教育的に大きな意義を持ち、美学、知的刺激を兼ね備えた遺産を、後の世代へと継承すべく、保全にまい進しています。
(小林 竑一)