第二次世界大戦中における日系人収容所政策の歴史を中心に日系史デジタル保存プロジェクトを続ける地元非営利団体のデンショー。9月24日に発足20周年となる夕食会を開く。
発足当時、一世はすでに世にほとんどなく、二世も高齢となっていた。一般社会で三世の活躍も多く見られ、特に当地ではマイクロソフト社などIT業界の最前線に携わる日系関係者も多かった。
当時、他にはないデジタル保存事業はそうした三世たちの技術とシアトルならではで培われた創造性、リーダーシップの引継ぎ、歴史保存の大切さを理解する二世の理解と協力が大きい。
「歴史は繰り返す」ように人種、宗教に絡んだ問題は起き続けている。多様化を続ける今はさらに複雑化している部分もある。
だが日系人に起きた出来事、心の傷、語られていないストーリー、経験は今の時代にも必ず生きると関係者は信じている。トム・イケダ事務局長がオンラインメディアに寄稿した記事は、先週本紙英語面でも転載された。第二次世界大戦で叔父が戦死、市民権を与えられず、「日本人」だった祖父と祖母が受け取った米国国旗。民主党大会で登壇、息子をイラク戦争で失った米国人イスラム教徒のキズル・カーンのスピーチに思いを巡らせた。
8月。日本では「終戦」という言葉が数多く聞かれることになる。戦争の歴史が続く「米国」にとって「終戦」とは。またキング郡政府が讃えた韓国系社会にとっては、建国の月であり、日本の植民地政策からの「解放」の月でもある。
日系人にとっては、当地であればピュアラップの集合所からアイダホ州ミネドカの収容所への移動月となる。「いつシアトルへ戻れるのか」、「これからどうなるのか」、先の見えない3年あまりの生活の最中。
そして混沌の「終戦」後。フリージャーナリストの川井龍介氏が寄稿する小説「ノーノー・ボーイ」の考察記事でも、当時一世の移民感情、二世の思い、それぞれが描写されている。「移民者」として、また「Expat」として、いつの時代も、あらゆる側面から考えなければらない。
(佐々木 志峰)