Home 食・旅・カルチャー 地球からの贈りもの~宝石物語~ 普遍的なもの

普遍的なもの

私が子供の頃は、バレンタインデーと言えば女の子から男の子に愛を告白してよい日。カバンに隠してあるチョコを渡すタイミングを考えて一日中ドキドキしたものだ。やはり時代は変わっても、同じような2月14日のドラマがあるのだろう。

今号では、前回の牛久シャトーの話から続いて、アール・ヌーボーとアール・デコの時代の話題を。シャトーが創業を初めた頃から第二次世界大戦までは、世界的にもそれまでの価値観がガラリと変わってしまうような激動の時代であった。第一次世界大戦や世界恐慌など、隣の火事ではなく世界規模で影響を受ける時代に突入したのである。ロマンチックで自然回避のアール・ヌーボー時代から、アール・デコの無機質で人工的なスタイルに変わっていくのだ。

前回も書いたが、アール・ヌーボーは昆虫や植物、妖精などをモチーフにしたものが多い。トンボの羽などが半透明のすりガラスの様なエナメル加工が施され先日、ワクワク系(このコラムでお伝えしている商売の理論と実践手法を、われわれはそう呼んでいる)のある石材店(多くの方には「墓石店」と言った方が分かりやすいだろう)から報告をいただいた。石材店業績向上のためのワクワク系講座でのことだ。その報告で参加者一同驚いたことは、売上が500%、1000%になったということだった。言うまでもないが、5倍、10倍である。ワクワク系ではこういった成果は珍しくない。しかし、彼らの業種は石材店であり、主な取扱商品は墓石。衝動買いできる商品でもなければ、何度も買う商品でもない。しかも高価だ。それがワクワク系に取り組み始めて1年足らずでそれほど伸びるとは、どういうことなのだろう。具体的には、5倍になったのは「石塔などの受注件数」、10倍になったのは「お墓のリニューアルの受注件数」だ。実はこの石材店主、若いころから技能を磨き、技能を競う全国大会で、厚生労働大臣賞などをいくつも受賞している。つまりは「腕が良い」て、七色に透けるような羽を美しく表現している物も多々ある。エナメル加工とは、熱した釉薬(ガラス質)を金属製の装飾品などに融着させることらしいが、大きく分けて4つの技巧があるそうだ。紀元前のエジプトが起源のようで、シルクロードを通じて中国に伝わっていたものが遣唐使時代に日本に伝わったとされる。日本ではエナメル加工の中でも七宝焼きとして独自の発展をしている。七宝焼きよりもっと透明度が高いエナメル加工なので印象は違うかもしれないが、色彩の鮮やかさは鮮やかな宝石に引けをとらない。そういった軽やかなジュエリーとシフォンやフリルなどのドレス。甘く希望に満ちた時代だった。それが第一次世界大戦辺りから、全く趣が違うスタイルへ変わっていく。

アール・デコ様式と言えば、建築物でいえばニューヨークのクライスラービルが代表的だ。必ずしもではないが、シンメトリーが特徴的だ。自然独特のカーブを愛でたアール・ヌーボーとは対極ともいえるような直線的で無機質で、よく言えばモダン。色鮮やかな色石を使っていても、粒の大きさも左右対称で整然と並んだ様は、冷たい印象を与える。更に時代は世界恐慌、禁酒法などにより、より無機質で暗い方向へ進んで行く。時代を反映して、ジュエリーに使われる素材も多様化した。プラスチックや、ウッド(木)、スチールなどは1930年代には既にジュエリーにも使われていたのだ。

現在でも、ウッドのバングルにダイヤモンドが直接埋め込まれたジュエリーを見たら、「わぉ斬新!」と思うだろうが、既にそのようなデザインは1930年代からあった。貴金属も、少ない量でボリュームがあるように見えるように、中が空洞になっているものなど、貧相に見せないために誤魔化す技術もアップ。真っ黒の半貴石のオニキスなども時代の暗さを反映するかのように多く用いられた。

アール・デコと言えば、二つの大戦の狭間でモダニズムの礎を築いた伝説の総合美術・建築学校であるドイツのバウハウスが有名。実用品にもデザイン性を取り入れた工業デザインの発想は、大量生産の時代に合致したとも言えるだろう。つい2カ月前、バウハウスで学んだマルセル・ブロイヤーの、数点しか現存しないワシリー・チェアー(オリジナル)を見た。スチールパイプの椅子など、今では安っぽい椅子の代名詞だが、このワシリー・チェアーはスチールを使った初めての椅子だと言われている。機能美という言葉は昔からあっただろうが、90年前にこれを機能美と受け入れるには余りにも革新的なデザインだっただろう。直線的なスチールの枠組みに、黒の張地。その無骨さにデザインを通して時代に反抗した人々の意志を感じた。

時代が変わっても残っていくもの、時代を経ても人の心を打つもの。故郷の牛久シャトーもそうであってほしい。ちなみに、日本最初のヌード広告とされる現サントリーの赤玉ポートワインの広告は、大正11年のもの。左手に琥珀色の液体が入ったグラスを持ち、その中指にはバンドリング、その腕にはシンプルなバングルがはめられている。何ともモダンであり、ある種の普遍性を感じる。

80年代のアメリカに憧れを抱き、18歳で渡米。読んだエッセイに感銘を受け、宝石鑑定士の資格を取得。訳あって帰国し、現在は宝石(鉱物)の知識を生かし半導体や燃料電池などの翻訳・通訳を生業としている。