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故ポール・アレン氏の調査チーム 真珠湾攻撃に使用された空母を発見

マイクロソフトの共同創業者で昨年他界しているポール・アレン氏が生前に組織した深海探査チームが北太平洋沖で発見していた船体2隻が、旧日本海軍の航空母艦「加賀」と「赤城」であることが10月20日に発表された。同探査チームは、アレン氏の個人資産を元にシアトル市内の不動産開発や宇宙調査などを行うバルカン社のプロジェクトのひとつ。アレン氏は、歴史的な軍用機のコレクターとしての一面もあることで知られていた。

バルカン社が運営するウェブサイト(paulallen.com)によれば、発見された2隻は1941年の真珠湾攻撃時に使用されたもの。故・南雲忠一中将の旗艦である赤城は、戦闘中、米国の急降下爆撃機による攻撃で飛行甲板を破壊され、最終的に日本の駆逐隊によって処分された。先の大戦中に戦死した赤城の乗組員は267人。沈没した船体は、パパハナウモクアケア海洋ナショナル・モニュメントの水深5280メートルの海底で発見された。

加賀は、約30機の急降下爆撃機および米海軍潜水艦ノーチラス号が発射した2発の魚雷による攻撃を受けた後、1924年6月4日のミッドウェー海戦中に日本軍によって処分された。生き残った乗組員は母艦を維持しようと努めたが、修復不可能と判断。護衛駆逐艦「萩風」が魚雷2発を発射し、加賀を処分した。戦死した乗組員は814人に及ぶ。加賀は水深5400メートルの海底で見つかっている。

同探査チームの調査船、ペトレル号に乗船したひとりである海軍歴史センターのフランク・トンプソン氏は、「陸戦とは違い、海戦の跡は表面的に残るものではない。歴史家は今回の発見により、第二次世界大戦中の重要な戦いに関する新たな視点を得ることができるだろう」と供べた。

日本軍による真珠湾攻撃の半年後に起こったミッドウェー海戦は特に、第二次世界大戦中の決定的な対戦。ペトレル号の乗組員は、500平方海里以上を記録しながら、広範な海域での調査を続けてきた。「このプロジェクトは、これまでのミッションとは大きく異なる。当初、艦上戦闘機は150海里以上離れたところにあり、合計で数千平方海里にも及ぶ研究、分析、調査を要した」と、バルカン社の海中事業責任者のロバート・クラフト氏。「海底には不気味な痕跡が何千マイルにもわたって散らばっており、航空母艦同士の大きな戦いが繰り広げられたことを物語っている」

バルカン社の深海探査チームは、これまで戦中に沈没した艦船を相次いで発見しており、2015年には旧日本海軍の戦艦「武蔵」も発見している。

(小川祐理子)

小川 祐理子
2017年上智大学卒。在学中はフランス語を専攻し、リヨンへ留学。卒業後は公益財団で2年間勤務したあと、留学する夫に付き添いシアトルへ。これまで旅した国約30カ国、訪れた日本の飲食店約750軒というほど旅行と美味しいものが大好き。