第二次世界大戦後、大戦で打撃を受けたヨーロッパの国々に支援物資を送ろうと、数多くの米国市民団体が発足した。サンフランシスコ在住の日系移民、浅野七乃助が中心となり設立した「日本難民救済会(LARA-Licensed Agencies for Relief in Asia)を始め、CAREインターナショナルなど、救済の手は日本にも差し伸べられ、アメリカからの支援は2.2ビリオンUSドルにも上った。
CAREインターナショナル(Cooperative for Assistance and Relief Everywhere)は米国内の22団体が協力して1945年に設立され、1948年より8年間に渡り当時の金額で290万ドル、1000万人の日本人の救済にかかわった。現在、1987年に発足した日本法人CAREインターナショナル・ジャパンにより、当時の支援物資「CAREパッケージ」の記憶を掘り起こそうという取り組みが進められている。米国から支援を送った人を探し、証言を聞き取り記録に残すことが目的。活動に向けて、米国の送り手からの協力を求めている。「CAREパッケージ」とは、食糧品や衣料品などの物資を詰めて戦災地へ届けた小包。日本には 1948年から 1955年にかけて全国各地に送られた。食糧品・衣料品などの生活必需品に加え、大工用具、農作物の種子や農具も送られたことで、就業訓練や技術者の育成が可能になり、被災者の経済的自立に大きく役立った。
パッケージの支援者の中には、西海岸に住む日系アメリカ人も多く含まれていたものと考えられているが、支援者リストなどの詳細な記録は残っていない。ケア・インターナショナル・ジャパンの活動の原点には、「戦後の窮乏を海外の援助に救ってもらった恩を返したい」という想いがある。今回の活動によって、支援を受けた記憶を証言として戦後復興史の一部に取りまとめ、助け合いの精神を次世代に伝えるのが狙いだ。戦争体験者は高齢化が進んでいるため、聞き取りを急いでいる。
集まった証言はインターネット上で公開し、冊子化も検討している。アメリカ市民からの証言は、Fax(+81-3-5950-1375)のほか、Email(info@careintjp.org)、郵送などで受け付けている。
(島涼介・天海幹子)