Home 食・旅・カルチャー 元号改変と日本の皇室

元号改変と日本の皇室

文:松崎 慧

4月29日は昭和の日。63年の長きにわたって続いた昭和の時代には、天皇誕生日としての祝日であった。昭和の日は、大型連休ゴールデンウィークのうちの一日だ。昭和天皇の崩御で1989年に元号が平成に変わると、昭和天皇が生物学者でもあったことにちなみ「みどりの日」と名前を変え、2007年以降は「昭和の日」として現在まで続いている。

2016年末、現在の明仁天皇が自身の体力面などを考慮し生前退位の意向を示したことを受け、2019年に現皇太子への譲位と元号の変更が行われることが閣議決定された。この報道は、日本国内で大きな話題を呼んだ。すでに、多くの企業が、カレンダーや手帳の印刷、コンピューターシステムの変更などの準備を進めている。

世界基準で使われている西暦の他に、イスラム圏のヒジュラ暦、台湾の辛亥革命暦など、国や地域によっての暦は多々ある。だが、日本のように数十年おきに変わる独自の年号を使う国は珍しい。

日本の元号のルーツは、古代中国に遡る。皇帝による時間の支配を意図して中国で使われていた制度を、7世紀に入って日本が導入したことに始まる。明治時代に一世一元の制が定められるまでは、天災や疫病の流行があった際に改元される他、「珍しい亀が献上された」という理由で改元されたこともあったようだ。

黒船来航、日本の開国を経て武士の時代が終わると、明治新政府は天皇を頂点とする近代帝国国家の樹立を目指した。日本国民もまた、伝統と血筋を数世紀にわたって受け継いできた天皇への尊敬の念を厚くしていた。一方で、帝国という名目のもとでアジア圏へ軍事進出した日本は欧米との軋轢で第二次世界大戦に突入し、1945年の終戦を迎えた。敗戦後、GHQ支配下で日本は陸海空軍を保持しない平和国家として再建され、昭和天皇は日本各地を巡幸して「人間宣言」を行った。当時の写真資料には玉音放送に対して跪いて天皇に懺悔する国民や、巡幸中の天皇がすぐ隣にいるのに気づかず天皇の姿を探すおばあさんの姿などが収められており、戦前の日本国民がいかに天皇を神格化してとらえ、またそのような教育を受けてきていたかがわかる。

戦後の日本国憲法で、政治には一切のかかわりを持たない「国民の象徴」として再定義された天皇は、今日の日本国民にどのように受け止められているのだろうか。

2013年にNHKが行った国民の意識調査によると、天皇を「尊敬している」人の割合は全体では34%で、後年世代ほど多く若い世代ほど少ない。一方で、「好感を持っている」人の割合は35%、「特になんとも感じていない」人の割合は28%であり、「反感を持っている」人の割合は1%に留まる。戦後、国内外の公の場へ積極的に訪れたり、震災等の被災者への慰問を行ってきた天皇の戦後の平和的な立ち位置が表れた結果であるのではないだろうか。

今回の元号改正に関する一連の動きや、女系天皇についての議論を通して、改めて、この日本独自の天皇という存在のあり方、その歴史の長さについて考えさせられることも多かったのではないだろうか。

北米報知社ゼネラル・マネジャー兼北米報知編集長。上智大学経済学部卒業後、ハイテク関連企業の国際マーケティング職を経て2005年からシアトル在住。2016年にワシントン大学都市計画修士を取得し、2017年から現職。シアトルの都市問題や日系・アジア系アメリカ人コミュニティーの話題を中心に執筆。