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日系ファミリーヒストリー ニーリー・マンションと堀さんの風呂場

7月に開催された「ジャパンフェア2018」で、オーバーン市内の史跡であるニーリー・マンションを管理する団体ブースに立ち寄った。その史跡裏には日系移民の風呂小屋があり、2016年2月に修復が完了したところだという。「ワシントン州に日本式の風呂小屋?」興味を引かれた私は実際に訪れることにした。

グリーン・リバー・バレーの山あいに建てられた木造の小屋に、洗濯場と風呂場がある。通称「堀さんの風呂場」には日本スタイルの深い浴槽に、いすの置かれた体を洗うスペース。1930年に建設された。周りに何もない土地に、なぜこのような場所が存在するのだろう。

現在、マンションと風呂場を管理する、アイリーン・ヤマダさんとキャロル・グリムスさん。ふたりに史跡を案内してもらった。同所のあるグリーン・リバー・バレー一帯の農耕地域は、1900年代前半に多くの日系移民が入植。1894年に完成したニーリー・マンションに1915年から約30年にわたり、日系2家族が借りて暮らした。

インテリアも当時を再現。洗濯機なども全く同じ型を探したという

広島県出身のマタスケ・フクダさんは、そんな一世移民のひとり。ヤキマの製材現場を辞め、1912年にニーリー・マンションへ移り住んだフクダさんは、周辺で酪農と農園を経営し成功を収めた。しかし、世界恐慌で影響を受けた身内のため、一家はカリフォルニア州へ引っ越すこととなった。次に建物を引き継いだのが、妻、5人の子どもたちと共に移り住んだ、広島県出身のシゲイチ・ホリさんだ。農園で働いていたシゲイチさんが、過酷な農作業の疲れを癒すため、風呂場を建設した。出稼ぎでやって来た異国の地で、少しでも故郷の日本を思い出す場所を作りたかったのだろう。

その後、手つかずとなり、床が抜け、荒れてしまった風呂小屋。かつて農園作業に従事した日系移民の歴史を物語るこの場所を、もう一度蘇らせようとしたのがニーリー・マンション協会。「できる限り元の姿に近い形で修復したかった。インテリアのひとつひとつを当時のまま再現しています」と、アイリーンさんは話す。建物のレイアウトは、土台の構造から風呂釜のあった場所を特定。残っている記録や、1939年当時の建物写真、ホリ夫妻の子であるフランク・ホリさん、メアリー・ホリさんの当時の記憶も基にして、図面を作成した。

深い浴槽の横には体を洗うスペースがある

キャロルさんは「見た目だけでなく、建築方法も元の建物に使われた技術を再現したかった。その点で建築会社側との話し合いが最も難しかった」と、補修時の苦労を話す。外壁の木材は元の建物から使用し、内側から新しい木材で補強。外から釘が見えないような壁の打ち方、日本伝統の「金継ぎ」技術も施されている。トイレの有無など不確かな部分もあるそうで、より当時の姿に近付けるため、今も補修プロジェクトは続いている。

暑い夏の昼、私は風呂小屋の中に立って、移住者の望郷の念を感じていた。一日の終わりに湯舟に浸かり、心も体も洗われる癒し空間の「風呂」。昔も今も、日本人にとって変わらぬ文化なのだと改めて思った。風呂場は邸宅と共に、夏季土曜ツアーで一般公開中だ。

ツアーの詳細は、Neely Mansion & Hori’s Bathhouseのウェブサイトを参照:www.neelymansion.org

小林 真依子
編集ライター。金融機関で勤務の後、留学のためシアトルへ。毎日の小さな「オモシロイ」を求めて日々シアトルを探索中。テクノロジーの町にいながらアナログを楽しむ関西人。